傅役もりやく)” の例文
という妙な資格がみとめられて、徳川新之助(将軍吉宗の若年時の名)の父、紀州大納言光貞から、その傅役もりやくを命ぜられたものだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くばり居たりしに當家の用人ばんすけ十郎建部たてべがう右衞門山口そう右衞門の三人は先殿平助の代より勤めことに山口惣右衞門は藤五郎の傅役もりやくにて幼少えうせうより育てあげ己は當年七十五歳になり樂勤らくづとめ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お傅役もりやくのそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一人や二人の落胤おとしごなど、あとから廻って、どうにでも処置するのがお傅役もりやくの役目とも心得ていた。けれど彼は、しん底から
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぽろぽろと泣いて顔をそむける傅役もりやくの二人を、於松おまつは見てもいなかった。聞くと共に、おどり上がらぬばかり手を打って
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幼時の尊氏に傅役もりやくとして付き、いらい尊氏が十八歳の初上洛の旅の日から今日まで、影と形のように、離れたことはない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日頃から傅役もりやくとしてかしずいていた郎党であろう。解いた紐で眼の涙をきながら、答えると、辞儀をして、うしろへ退った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これっ、そちは、わしがわらべの頃より傅役もりやくとして付き添い、わしもそちを友とまで思うて来たが、今はゆるせぬ。置文の秘を
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事あればその生命にも代わろうとする傅役もりやくの辛さと難しさを思いやると、あわれなのはむしろ質子よりもこれらの者であるまいかと思いった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とんだいいお傅役もりやくとして、彼はいらい、坊ッちゃん付きを兼任の恰好でもあった。するうちに、いつか一ト月、盆の七月十五日をここで迎えた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そのお傅役もりやくが、さらわれたのも知らずにいるとは笑止千万しょうしせんばんじゃないか。御曹子おんぞうしはまえから拙者せっしゃがさがしていたおん方だ、もうきさまに用はない」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここで、いささか説明を加えるなら、その一色村は、かつての日、高氏が忍び上洛のに供をした傅役もりやくの若党、かの一色右馬介の出生地なのである。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なんでも、後見の間部詮房まなべあきふさとお傅役もりやくの月光院様とが庭でいちゃついていて、小さな将軍様に風邪をひかしたのが、こんどの病気のもとだという話だが」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先代信秀が、信長のために、傅役もりやくとしておいた老臣の平手中務には、三人の男子があった。惣領そうりょうが五郎左衛門、次男が監物けんもつ、三男を甚左衛門といった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうした竹中半兵衛の好意の下に、きょうまでは、深い仔細も知らずに来た傅役もりやくたちも、いま半右衛門の口から
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、右馬介とて、幼少からの傅役もりやくだ。朝夕、そばに仕えている身、ここへ来ての高氏の人間的な変化にも
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとその帰途を待っていたもののように、二名の侍が道ばたにうずくまっていた。見ると、黒田家から来ている松千代の傅役もりやく井口兵助と大野九郎左衛門であった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄弟同士の仲でもかねて無言のうちに自分をしていた空気があるし、ことに遺子おのおのに付いている傅役もりやくの側臣中には歴然たる暗闘もあったことなので、今
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
乳のみ児の末の姫は、藤掛三河守がよろいの上に背負い、次女の初姫は、傅役もりやくの中島左近が背に負った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ほかならぬ、あなた方なら、打ち明けてもよいでしょう。……柳斎とは、仮の名。まことは、足利殿に仕えて、高氏さまの傅役もりやくをも勤めていた一色右馬介いっしきうまのすけという侍です」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傅役もりやくには、従来どおり長谷川丹波守と前田玄以げんいの二人のほかに、なお秀吉が輔佐ほさすること。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次に、敵の老将の藤掛三河守ふじかけみかわのかみ傅役もりやくの人々が、各〻の背に、和子をおぶって、上って来た。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うち気な、純情な、いやしくも貞操を戯れの火には投げない彼女のきれいな感化にもよるが、その前後、老公の厳父頼房よりふさが、厳戒を加えたこともあり、お傅役もりやく小野角右衛門おのかくえもん
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傅役もりやくの大野と井口の二名はあわただしく彼の居室の縁先へ取次も待たず寄って来た。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彰考館しょうこうかんの総裁にあげられ、転じて、嫡孫菊千代きくちよ傅役もりやくとなり、ついには江戸家老にまで登ってゆくあいだに、そろそろ紋太夫のうちにふかく流れていたべつな本質もあらわれ出して来た。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「は。尊氏の君には御幼時からの傅役もりやくとして仕え、今日に至っております」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふりかえってみると、十幾歳のお年まで、お傅役もりやくとして、寿童丸様のおそばに仕えていたこの私にも大きな責任がございます。——自体、わがままいっぱいに、お育てしたのが、悪かったのです。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傅役もりやく小野角右衛門おのかくえもんが、信長のぶなが傅役もりやく平手中務ひらてなかつかさ忠諫ちゅうかんにならって
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふたりとも、平常、彼の嫡子ちゃくしや姫たちに附いている傅役もりやくであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はす咲く池は子を呑んで、金枝きんしの門にお傅役もりやくぐれ込むこと
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「幼少からのお傅役もりやく。その右馬どのなら」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傅役もりやく小冠者こかんじゃにあずけて行った。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)