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もりやく
ふりがな文庫
“
傅役
(
もりやく
)” の例文
という妙な資格がみとめられて、徳川新之助(将軍吉宗の若年時の名)の父、紀州大納言光貞から、その
傅役
(
もりやく
)
を命ぜられたものだった。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
配
(
くば
)
り居たりしに當家の用人
伴
(
ばん
)
佐
(
すけ
)
十郎
建部
(
たてべ
)
郷
(
がう
)
右衞門山口
惣
(
そう
)
右衞門の三人は先殿平助の代より勤め
殊
(
こと
)
に山口惣右衞門は藤五郎の
傅役
(
もりやく
)
にて
幼少
(
えうせう
)
より育て
上
(
あげ
)
己は當年七十五歳になり
樂勤
(
らくづとめ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お
傅役
(
もりやく
)
のそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一人や二人の
落胤
(
おとしご
)
など、あとから廻って、どうにでも処置するのがお
傅役
(
もりやく
)
の役目とも心得ていた。けれど彼は、しん底から
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ぽろぽろと泣いて顔をそむける
傅役
(
もりやく
)
の二人を、
於松
(
おまつ
)
は見てもいなかった。聞くと共に、おどり上がらぬばかり手を打って
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
幼時の尊氏に
傅役
(
もりやく
)
として付き、いらい尊氏が十八歳の初上洛の旅の日から今日まで、影と形のように、離れたことはない。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日頃から
傅役
(
もりやく
)
として
侍
(
かしず
)
いていた郎党であろう。解いた紐で眼の涙を
拭
(
ふ
)
きながら、答えると、辞儀をして、うしろへ退った。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これっ、そちは、わしが
童
(
わらべ
)
の頃より
傅役
(
もりやく
)
として付き添い、わしもそちを友とまで思うて来たが、今はゆるせぬ。置文の秘を
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
事あればその生命にも代わろうとする
傅役
(
もりやく
)
の辛さと難しさを思いやると、あわれなのはむしろ質子よりもこれらの者であるまいかと思い
遣
(
や
)
った。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とんだいいお
傅役
(
もりやく
)
として、彼はいらい、坊ッちゃん付きを兼任の恰好でもあった。するうちに、いつか一ト月、盆の七月十五日をここで迎えた。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そのお
傅役
(
もりやく
)
が、さらわれたのも知らずにいるとは
笑止千万
(
しょうしせんばん
)
じゃないか。
御曹子
(
おんぞうし
)
はまえから
拙者
(
せっしゃ
)
がさがしていたおん方だ、もうきさまに用はない」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここで、いささか説明を加えるなら、その一色村は、かつての日、高氏が忍び上洛の
途
(
と
)
に供をした
傅役
(
もりやく
)
の若党、かの一色右馬介の出生地なのである。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「なんでも、後見の
間部詮房
(
まなべあきふさ
)
とお
傅役
(
もりやく
)
の月光院様とが庭でいちゃついていて、小さな将軍様に風邪をひかしたのが、こんどの病気の
因
(
もと
)
だという話だが」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先代信秀が、信長のために、
傅役
(
もりやく
)
としておいた老臣の平手中務には、三人の男子があった。
惣領
(
そうりょう
)
が五郎左衛門、次男が
監物
(
けんもつ
)
、三男を甚左衛門といった。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうした竹中半兵衛の好意の下に、きょうまでは、深い仔細も知らずに来た
傅役
(
もりやく
)
たちも、いま半右衛門の口から
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だが、右馬介とて、幼少からの
傅役
(
もりやく
)
だ。朝夕、そばに仕えている身、ここへ来ての高氏の人間的な変化にも
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
するとその帰途を待っていたもののように、二名の侍が道ばたに
跼
(
うずくま
)
っていた。見ると、黒田家から来ている松千代の
傅役
(
もりやく
)
井口兵助と大野九郎左衛門であった。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
兄弟同士の仲でもかねて無言のうちに自分を
擬
(
ぎ
)
していた空気があるし、ことに遺子おのおのに付いている
傅役
(
もりやく
)
の側臣中には歴然たる暗闘もあったことなので、今
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
乳のみ児の末の姫は、藤掛三河守がよろいの上に背負い、次女の初姫は、
傅役
(
もりやく
)
の中島左近が背に負った。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ほかならぬ、あなた方なら、打ち明けてもよいでしょう。……柳斎とは、仮の名。まことは、足利殿に仕えて、高氏さまの
傅役
(
もりやく
)
をも勤めていた
一色右馬介
(
いっしきうまのすけ
)
という侍です」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
傅役
(
もりやく
)
には、従来どおり長谷川丹波守と前田
玄以
(
げんい
)
の二人のほかに、なお秀吉が
輔佐
(
ほさ
)
すること。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
次に、敵の老将の
藤掛三河守
(
ふじかけみかわのかみ
)
と
傅役
(
もりやく
)
の人々が、各〻の背に、和子をおぶって、上って来た。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
うち気な、純情な、いやしくも貞操を戯れの火には投げない彼女のきれいな感化にもよるが、その前後、老公の厳父
頼房
(
よりふさ
)
が、厳戒を加えたこともあり、お
傅役
(
もりやく
)
の
小野角右衛門
(
おのかくえもん
)
が
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
傅役
(
もりやく
)
の大野と井口の二名はあわただしく彼の居室の縁先へ取次も待たず寄って来た。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彰考館
(
しょうこうかん
)
の総裁にあげられ、転じて、嫡孫
菊千代
(
きくちよ
)
の
傅役
(
もりやく
)
となり、ついには江戸家老にまで登ってゆくあいだに、そろそろ紋太夫のうちにふかく流れていたべつな本質もあらわれ出して来た。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「は。尊氏の君には御幼時からの
傅役
(
もりやく
)
として仕え、今日に至っております」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ふりかえってみると、十幾歳のお年まで、お
傅役
(
もりやく
)
として、寿童丸様のおそばに仕えていたこの私にも大きな責任がございます。——自体、わがままいっぱいに、お育てしたのが、悪かったのです。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お
傅役
(
もりやく
)
の
小野角右衛門
(
おのかくえもん
)
が、
信長
(
のぶなが
)
の
傅役
(
もりやく
)
平手中務
(
ひらてなかつかさ
)
の
忠諫
(
ちゅうかん
)
にならって
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ふたりとも、平常、彼の
嫡子
(
ちゃくし
)
や姫たちに附いている
傅役
(
もりやく
)
であった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蓮
(
はす
)
咲く池は子を呑んで、
金枝
(
きんし
)
の門にお
傅役
(
もりやく
)
も
迷
(
は
)
ぐれ込むこと
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「幼少からのお
傅役
(
もりやく
)
。その右馬どのなら」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
傅役
(
もりやく
)
の
小冠者
(
こかんじゃ
)
にあずけて行った。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
傅
漢検1級
部首:⼈
12画
役
常用漢字
小3
部首:⼻
7画
“傅”で始まる語句
傅
傅人
傅育
傅士仁
傅彩
傅彤
傅嬰
傅安
傅家甸
傅女