倏忽たちまち)” の例文
少年は倏忽たちまち屋根から下つた。そして他の人に怪しまれない限り急いで庭へ出て、そこから麻裏草履をはいて河の方へと驅け出して行つた。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
やがて食卓から立って妻児が下りて来た頃は、北天の一隅に埋伏まいふくし居た彼濃い紺靛色インジゴーいろの雲が、倏忽たちまちの中にむら/\とった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
物見高い群衆が刻々に謂集あつまってきて、狭い露路は倏忽たちまち黒山のようになった。私は人垣の間を潜って、ようやく前へ出た。
日蔭の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
一瞬時なりともこの苦悩この煩悶を解脱のがれようとつとめ、ややしばらくの間というものは身動もせず息気いきをも吐かず死人の如くに成っていたが、倏忽たちまち勃然むっく跳起はねおきて
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
玲瓏れいろう明透めいてつ、そのぶん、そのしつ名玉山海めいぎよくさんかいらせるきみよ。溽暑蒸濁じよくしよじようだくなつそむきて、冷々然れい/\ぜんとしてひとすゞしくきたまひぬ。倏忽たちまちにして巨星きよせいてんり。ひかり翰林かんりんきて永久とこしなへえず。
芥川竜之介氏を弔ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
駒が岳のよく見える處で、三脚を据ゑて、十八九の青年が水彩寫生をして居た。駒が岳に雲が去來して、沼の水も林も倏忽たちまちの中にかげつたり、照つたり、見るに面白く、寫生に困難らしく思はれた。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
見る人の心に耀かゞやきて、また倏忽たちまちに消えせにけり。
緑の種子 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
取外とりはずして言いかけて倏忽たちまちハッと心附き、周章あわてて口をつぐんで、吃驚びっくりして、狼狽ろうばいして、つい憤然やっきとなッて、「畜生」と言いざまこぶしを振挙げて我と我をおどして見たが
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
泉原は家主の婆さんからその話をきいて、すっかり気をくじかれてしまった。やや明るくなりかけていた気持が大きなたなごころで押えつけられたように、倏忽たちまち真暗になって了った。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
駒が岳のよく見える処で、三脚をえて、十八九の青年が水彩写生すいさいしゃせいをして居た。駒が岳に雲が去来きょらいして、沼の水も林も倏忽たちまちの中にかげったり、照ったり、見るに面白く、写生に困難らしく思われた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
かたりだ。」居合せた男達は口々に叫んで、昇降機リフトに向おうとする刹那、倏忽たちまち戸外そとに凄じい騒ぎが起った。それは年若い婦人が五階の窓から敷石の上へ墜落ちて惨死したという報知しらせであった。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)