今茲ことし)” の例文
ついこのごろよそから連れ込んで来て、細君に育てさしている、今茲ことし四つになる女の子のことも、気にかかりだした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
取つて親子が活計たつきとなすも今茲ことし丁度ちやうど三年越し他に樂みもあらざれど娘もいと孝行かうかうにして呉る故それのみが此上このうへもなき身のよろこび是も今茲ことしはモウ十七婿むこ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
私は小さき胸にはりさけるような悲哀かなしみを押しかくして、ひそかに薄命な母をいたんだ、私は今茲ことし十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だろうという。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
清水寺の僧信海、勅を奉じて敵国を調伏し万民を安穏あんのんにせんことをいのる。事、幕忌に触れ、捕えられて獄に下り、病を以て没す。実に今茲ことし四月某日なり、遺歌一首有り。曰く
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
大沼竹渓の墳墓は芝区三田台裏町みただいうらまちなる法華ほっけ宗妙荘山薬王寺の塋域えいいきにある。今茲ことし甲子の歳八月のある日、わたくしは魚籃坂ぎょらんざかを登り、電車の伊皿子いさらご停留場から左へ折れる静な裏通に薬王寺をたずねた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今茲ことし十三になる前妻の女の子は、お庄がここに来ることになってから、間もなく鳥越とりごえにいる叔母の方へ預けられた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
千代子は今茲ことし十七歳、横浜で有名な貿易商正木なにがしの妾腹に出来たものだそうで、そのめかけというのは昔新橋で嬌名の高かった玉子とかいう芸妓げいしゃで、千代子が生まれた時に世間では
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
世に誉れ高くまします 烈祖れっそ家康公より信牌を賜わり(慶長五年庚子こうし和蘭オランダ船始めて来り、同十四年己酉きゆう七月五日神祖しんそより御朱印を賜う。己酉より今茲ことし甲辰こうしんに至り二百三十六年なり)
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
庄兵衞というて今茲ことし廿年はたち餘り二つに成り未だ定まるつまもなく母のおかつ二個消光ふたりぐらしなせども茲等は場末ばずゑにて果敢々々しき店子たなこもなければ僅かばかりの家主にては生計たつきの立ぬ所より庄兵衞は片手かたて業に貸本を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
家主が以前下谷で瀬戸物屋をしていた時分からの知合いで、今茲ことし二十四になった子息むすこのこともよく解っていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
有らざるなかに同町三丁目に數代すだいつゞく小西長左衞門といふ藥種屋やくしゆやあり間口凡そ二十間あまりにして小賣店こうりみせ問屋店とひやみせ二個ふたつに分ち袖藏そでぐらあり奧藏あり男女夥多あまたの召仕ありて何萬兩といふ身代しんだいなればなにくらからず送りゆく主個あるじ長左衞門は今茲ことし(享保二年)五十の坂を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
私らンとこの菊太郎も実地はもうたくさんだで、今茲ことしは病院の方をさして、この秋から田舎に開業することになっておりますでね、私もこれで一ト安心ですよ。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
田舎で鉄道の方に勤めていた官吏のもとへ片づいていたその姉は、以前この家に間借をしていたことのあるその良人が、田舎へ転任してから、七年目の今茲ことしの夏、にわかに病死してしまった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)