鷹狩たかがり)” の例文
まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、鷹狩たかがりを御覧においでになりました。
岩を小くする (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
長篠ながしのまでは出馬したが、富士の神容しんようには接していなかったし、参州吉良さんしゅうきらまで鷹狩たかがりに出向いたこともあるが、ついぞ富嶽ふがく秀麗しゅうれいは仰いでいない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ういへば沢山たんと古い昔ではない、此の国の歴々れきれきが、此処ここ鷹狩たかがりをして帰りがけ、秋草あきぐさの中に立つて居たなまめかしい婦人おんなの、あまりの美しさに、かねての色好いろごの
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一、梧桐ごどう一葉いちようおつの意を詠じなば和歌にても秋季と為るべし。俳句にては桐一葉きりひとはを秋季に用うるのみならず、ただ桐と言ふ一語にて秋季に用うる事あり。鷹狩たかがりは和歌にても冬季なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
もっともきみ子はあの家の歴史を書いていなかった。あれを建てた緒方某おがたぼうは千住の旧家で、徳川将軍が鷹狩たかがりの時、千住で小休みをする度毎たびごとに、緒方の家が御用を承わることにまっていた。
カズイスチカ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この辺はむかしは将軍家の鷹狩たかがりの場所だったようである。池の中の七箇所から清水が湧いたというが、いまは大分減ったにちがいない。それでも水量はゆたかで、水の色も澄んでいる。
犬の生活 (新字新仮名) / 小山清(著)
むかしあるお大名が二人ふたり目黒辺へ鷹狩たかがりに行って、所々方々をまわった末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来ともはなばなれになって口腹をたすかてを受ける事ができず
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「よし、後詰ごづめはこちらでする。市五郎、其方そのほう大儀でも分部わけべ、山口、池野、増田へ沙汰をしてくれ、急いで鷹狩たかがりを催すと言ってここへ集まるように。表面うわべは鷹狩だがこの鷹狩は火事よりせわしい」
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たいした雪でもなかったが、退屈していた資盛は、雪にかこつけて、枯野かれの鷹狩たかがりに出かけていった。年頃も、同じ程度のいずれおとらぬ、腕白共を従え、京に帰ってきたのは、既に日暮れ方である。
上樣うへさまには、又雜司ざふしの御鷹狩たかがりを仰せ出された」
川狩といい、鷹狩たかがりといい、水泳の調練といっても、この頃の大名のやることには、すべて戦備の心がけがあった。戦争を離れては、生活がなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸のやしき添地そえちを賜わったり、鷹狩たかがりつるを下されたり、ふだん慇懃いんぎんを尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのももっともである。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その父から、将軍の鷹狩たかがりに行く時の模様などを、それ相当の敬語で聞かされた昔も思い合された。しかし事実の興味が主として働らきかけている細君の方ではまるで文体などに頓着とんじゃくしなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫人 その雨を頼みにきました。——今日はね、この姫路の城……ここかられば長屋だが、……長屋の主人、それ、播磨守はりまのかみが、秋の野山へ鷹狩たかがりに、大勢で出掛けました。みんな知っておいでだろう。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「あツ、いけねえ。今日は上樣お鷹狩たかがりの日だ」
(さては、鷹狩たかがりに事よせて、徳川どのと、どこかで御会見だな?)
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)