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長谷寺
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はせでら
ふりがな文庫
“
長谷寺
(
はせでら
)” の例文
若者
(
わかもの
)
はだんだん
心細
(
こころぼそ
)
くなったものですから、これは
観音
(
かんのん
)
さまにお
願
(
ねが
)
いをする
外
(
ほか
)
はないと
思
(
おも
)
って、
長谷寺
(
はせでら
)
という大きなお
寺
(
てら
)
のお
堂
(
どう
)
におこもりをしました。
一本のわら
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
弓張月の漸う光りて、
入相
(
いりあひ
)
の鐘の音も収まる頃、西行は
長谷寺
(
はせでら
)
に着きけるが、問ひ驚かすべき
法
(
のり
)
の友の無きにはあらねど問ひも寄らで、観音堂に参り上りぬ。
二日物語
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
女の子がとりすがったのを縁側から
蹴
(
け
)
おとして家を出たとか、後年、
長谷寺
(
はせでら
)
へ
参籠
(
さんろう
)
すると、行いすます尼と出会う、これが昔のわが妻であったとかいう類で
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
この奇異な旅法師は、伊賀の名張から大和へ出る唯一の山街道を初瀬川にそって、
長谷寺
(
はせでら
)
の麓へ出ていた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
時
(
とき
)
に
扇子使
(
あふぎづか
)
ひの
手
(
て
)
を
留
(
と
)
めて、
默拜
(
もくはい
)
した、
常光院
(
じやうくわうゐん
)
の
閻王
(
えんわう
)
は、
震災後
(
しんさいご
)
、
本山
(
ほんざん
)
長谷寺
(
はせでら
)
からの
入座
(
にふざ
)
だと
承
(
うけたま
)
はつた。
深川浅景
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
▼ もっと見る
八重桜と
紅葉
(
もみじ
)
の
錦
(
にしき
)
と、はりぼての鹿とお
土産
(
みやげ
)
と、法隆寺の壁画、
室生寺
(
むろうじ
)
、
郡山
(
こおりやま
)
の城と金魚、
三輪明神
(
みわみょうじん
)
、
恋飛脚大和往来
(
こいびきゃくやまとおうらい
)
、
長谷寺
(
はせでら
)
の
牡丹
(
ぼたん
)
ときのめでんがく及びだるま
大切な雰囲気:03 大切な雰囲気
(新字新仮名)
/
小出楢重
(著)
長谷寺
(
はせでら
)
の一の鳥居。机竜之助はそこへ立ち止まって
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
長谷寺
(
はせでら
)
に
法鼓
(
ほうこ
)
轟
(
とどろ
)
く彼岸かな
六百句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
若者
(
わかもの
)
は、
下男
(
げなん
)
の
姿
(
すがた
)
が
遠
(
とお
)
くに
見
(
み
)
えなくなるまで
見送
(
みおく
)
りました。それからそこの
清水
(
しみず
)
で
手
(
て
)
を
洗
(
あら
)
いきよめて、
長谷寺
(
はせでら
)
の
観音
(
かんのん
)
さまの
方
(
ほう
)
に
向
(
む
)
いて手を
合
(
あ
)
わせながら
一本のわら
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
豊山
(
ぶざん
)
長谷寺
(
はせでら
)
を上り下りする数千の男女と同様、彼の姿にも、なんの屈托らしさもない。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すると
向
(
む
)
こうから、
身分
(
みぶん
)
のあるらしい
様子
(
ようす
)
をした女の人が、
牛車
(
うしぐるま
)
に
乗
(
の
)
って
長谷寺
(
はせでら
)
へおまいりにやって
来
(
き
)
ました。
一本のわら
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
“長谷寺”の解説
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は豊山(ぶさん)。院号は神楽院(かぐらいん)。本尊は十一面観音(十一面観世音菩薩)。開山は道明とされる。西国三十三所第8番札所。寺紋は輪違い紋。
本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか
ご詠歌:いくたびも参る心ははつせ寺 山もちかいも深き谷川
(出典:Wikipedia)
長
常用漢字
小2
部首:⾧
8画
谷
常用漢字
小2
部首:⾕
7画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“長谷”で始まる語句
長谷
長谷川
長谷川町
長谷部
長谷川秀一
長谷倉
長谷川時雨
長谷川右近
長谷川昆渓
長谷川天渓