荼毘だび)” の例文
三月後、彼は心臓麻痺で急死したが、遺言により白い壺は棺の中に入れられ、小肥りのその遺体とともに荼毘だびに付されてしまった。
蒐集 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
エテオクレとその兄弟との荼毘だびの炎の如く上方うへわかれたる火につゝまれてこなたに來るは誰なりやといはんとおもひたりしなり —五四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
昨日解剖の為に屍体が大学へ持って行かれたので、予定が一日延びて、いよ/\今夜最後の通夜をして、明日は荼毘だびに附する事になっていた。
御用林を見廻りに出た途中、雪解の崖道がけみちから落ちて即死した。死躰は山で荼毘だびにしておろすから、遺族を山へ同行したい、ということであった。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
護謨林ゴムりんを出て馬車に乗り、案内者となつてれた三井物産の支店員から、故長谷川二葉亭君の遺骸をこの地で荼毘だびして追悼会を開いた時の話を聞きなが
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
午後四時一般焼香を終って、葬列はふたたび式場を発し、同五時半桐ヶ谷火葬場に到着、遺骸を荼毘だびに附した。
小山内薫先生劇場葬公文 (新字新仮名) / 久保栄(著)
追而おって来る××日×時、花山祭場に於て仏式を以て告別式を相営み、のち同火葬場に於て荼毘だびに附し申可くそうろう……
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それから望月少佐は五十嵐博士逝去のことと遺骸は上田市で荼毘だびし、遺骨は病中の博士夫人に代って南京子さんが預かっていることなどを告げ知らせた。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
赤子のなきがらは、その夜、堂守の妙達と、父の手で、そっと、藤井寺の裏で、荼毘だび(火葬)に付された。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌安貞二年正月二十五日の暁、更に西山の粟生野の幸阿弥陀仏の処へ遺骸を移して、そこで荼毘だびに附した。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
信は慶応紀元二月十八日に夭した。迨夜はもと荼毘だび前夜であるが、俗間には法要の前夜を謂ふ。此には後の義に用ゐてある。得悟は棠軒の子紋二郎の法諡である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
周囲の樹木は彼の植えにしものにて、北方の高地には荼毘だび塔あり。また、モーセ、ジョン・シー・フレメント将軍、ロバアト・ブラウニングに捧げし記念塔あり。
バークレーより (新字新仮名) / 沖野岩三郎(著)
月白く露深き丘の上にはるかに印度洋の鞺鞳とうとうたる波濤を聞きつつまきを組上げて荼毘だびに附した。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その遺骸を荼毘だびにふし、土に葬ることもなさらずに、死体の顔に御自分の顔をくっつけ、死体の手に御自分の手を組んで、幾日かおすごしになられましたが、ついに気が狂って
荼毘だびだ、荼毘だ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「の世界も楽じゃなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ようやくの事で空しきから菩提所ぼだいしょへ送りて荼毘だび一片のけぶりと立上らせてしまう。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
裏手の松原に在る当大学専用の火葬場の人夫が受取って行って、立会人も何も無いままに荼毘だびに附して、灰のようになった骨と、保存してあった遺髪だけを受取りに来た者に引渡す……という
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
村人の手で、遺骸は荼毘だびに付した。お骨を捧げて、今日は明日は江戸の道場へ帰ろうと思いながら、大次郎の傷の癒えも進捗はかばかしくないので、二人はまだこうして、この猿の湯に逗留している。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
山とばかり薪を積み、戦うごとに数百数干の屍を運んで来ては、仮の荼毘だびにふし、そしてそこの仮寺で、かたちばかりな誦経ずきょうを上げている死の谷であったのだ。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん遺骸は荼毘だびにしてあったが、金之助が着くと共に改めて通夜その他の法要がおこなわれ、そのため人の出入りが多くて、数日はなにをすることもできなかった。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
遺言は利章と小河内藏允とが聽いた。遺骸ゐがいは領國へ運んで、箱崎の松原で荼毘だびにした。此時ひつぎの先へは三十三歳になる利章が手を添へ、跡へは二十二歳になる忠之が手を添へた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「そうだ、一切を荼毘だびして、亡者もうじゃの霊をなぐさめ、おれたちは、ここを下山としよう」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大助はそのしかばねを背負って須走口へ下り、山麓の若葉の森のなかで荼毘だびにした。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
推するに柏軒の遺骸は是日荼毘だびに付せられたことであらう。柏軒の墓は京都の宗仙寺に建てられ、後又江戸に建てられた。法語の「形蔵宗仙、影顕長谷」は既に云つた如く此事を指すのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
八木法達、安間了現ら二十余名は、正成みずからがしてげた荼毘だびの煙をあとに、北の谷ぶところへ逸散に駈けおりた。そして岩壁をよじ、山の背をつたい、布引ノ滝の方面へ落ちて行った。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんがらとせいたかは親分乾分三人を荼毘だびに付して遺骨を抱えて江戸へ帰り、その四十九日の夜に、浅草藍染あいぞめ川の笊組へ仕返しの斬り込みを試みようと、密かに用意しているところへ、先を越して
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)