荒町あらまち)” の例文
その他半蔵が内弟子うちでし勝重かつしげから手習い子供まで、それに荒町あらまちからのものなぞを入れると、十六、七人ばかりの人たちが彼を出迎えた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
文子の説によれば、伊達綱宗だてつなむねは新吉原の娼妓しやうぎ高尾を身受みうけして、仙台に連れて帰つた。高尾は仙台で老いて亡くなつた。墓は荒町あらまち仏眼寺ぶつげんじにある、其子孫が椙原氏すぎのはらうぢだと云ふことになつてゐる。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼はこの人が仏弟子ぶつでしながら氏神をも粗末にしないで毎月朔日ついたち十五日には荒町あらまちにある村社への参詣さんけいを怠らないことを知っていたし
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠の荒町あらまちにある村社の鳥居とりいのために檜木ひのき背伐せぎりしたと言って、その始末書を取られるような細かい干渉がやって来る。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
えゝ、いしせてあるおうち屋根やねから、竹藪たけやぶまでえます。馬籠うまかごむらが一えます。荒町あらまち鎭守ちんじゆもりまでえます。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
本町ほんまち大塚おおつかさん、鴇窪ときくぼ井出いでさん、その他の娘たちとともに、荒町あらまちからかよっていたのが小山喜代野さんでした。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
年寄役の伊之助は荒町あらまちから。問屋九郎兵衛は峠から。馬籠ではたいがいの家が浪士の宿をすることになって、万福寺あたりでも引き受けられるだけ引き受ける。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠町内の旧組頭笹屋庄助ささやしょうすけはその後の山林事件の成り行きと村方養蚕奨励の話なぞを持って、荒町あらまち禰宜ねぎ松下千里は村社諏訪社すわしゃの祭礼復興の話を持ってというふうに。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その足で坂になった町を下の方へと取り、石屋の坂のかどを曲がり、幾層にもなっている傾斜の地勢について、荒町あらまちの方まで降りて行った。荒町には村社諏訪すわ分社がある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
荒町あらまち、みつや、横手よこて、中のかや、岩田いわたとうげなどの部落がそれだ。そこの宿はずれではたぬき膏薬こうやくを売る。名物くりこわめしの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処おやすみどころもある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この人が荒町あらまち禰宜ねぎだ。腰にした長い刀のさしかたまで、めっきり身について来た松下千里だ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小諸の荒町あらまちには、髪を昔風のチョンまげに結んだ鍛冶屋かじやさんが、たった一人残っていました。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
荒町あらまちにある氏神うじがみの境内へ下った諏訪すわ本社のお札を降り始めとして、問屋の裏小屋の屋根へも伊勢いせ太神宮のお札がおさがりになったとか、桝田屋ますだやの坪庭へも同様であると言われると
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小諸はこの傾斜に添うて、北国ほっこく街道の両側に細長く発達した町だ。本町ほんまち荒町あらまちは光岳寺を境にして左右に曲折した、おもなる商家のあるところだが、その両端に市町いちまち与良町よらまちが続いている。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
峠の上の国境に立つ一里塚いちりづかえのきを左右に見て、新茶屋から荒町あらまちへ出た。旅するものはそこにこんもりと茂った鎮守ちんじゅもりと、涼しい樹陰こかげに荷をおろして往来ゆききのものを待つ枇杷葉湯びわようとう売りなぞを見いだす。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)