みの)” の例文
将来の足掛あしがかりを、求めようとしたであろうし、えてみのりを待つほどの忍耐をもって、気永きながに風と潮行しおゆきとを観測してゆくとすれば
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
みのりの秋は、秀吉に来たのである。秀吉はこの夏、大きな収穫をやった。それは、関白かんぱくとなり、初めて、豊臣姓とよとみせいてたことである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてこの寄り合い世帯には、分業が行われてたいへんにこの花に利益をもたらし、それがためにたくさんな種子がよくみのることになっている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
早稲田わさだだからもうみのっているのだが、牡鹿おじかが妻喚ぶのをあわれに思って、それを驚かすに忍びないという歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
やがて彼女の身に愛の実のみのるころには、おとこの心は船に乗って、遠い国へ旅立つ……そしてひとすじの心を偽られた彼女は、堪え難い憎しみを抱いて
灯台鬼 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
一寸にも足らぬ一本の草が芽を出し、伸び、咲き、みのり、枯れ、やがて朽ちて地上から影を消す。そしてまた暖い春が來ると其處に青やかな生命の芽を見する。
××山のてっぺんに、上水道の貯水池が造られ、×××谷の清流に発電所が出来、二作に、間作までみのる××の田圃が開拓されて、電車が通い始めたということなど……
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
貴州の紅崖山の深洞中より時に銅鼓の声聞ゆ、諸葛亮ここに兵をとどめたといい、夷人祭祀ごとに烏牛くろうし、白馬を用うればとしみのる(『大清一統志』三三一)てふ支那説に近い。
アイヌでは、畑に種子をくのに、シギの卵を潰してそれに浸して播くとみのりがいいという俗信があるので酋長の妻はわざわざシギの卵を捜してきて、それにアワの種子を浸して播いた。
えぞおばけ列伝 (新字新仮名) / 作者不詳(著)
そして、熱心にはぐさったり肥料をやったりしたので、稲はよくみのった。
位牌田 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかしこの交渉の断絶は、一層品物に対する吾々の情熱を燃やした。吾々の手でよい仕事を遺そう。みのる日を待って、おこたらず前に進もう。私たちは乏しい財布の中から少しずつ品物を加えていった。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
みのの夕映すごき乾田ひだひぢうち絶えて鳴かずかはづひさしく
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
みの蜻蛉とんぼうつるみ子を背負ひ
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あるいはまた稲に酷似するただの草であったかも知れぬ。偶然の観察者は必ずしも収穫に遭遇しまたそのみのりを験したのではないからである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかしここにいう Viola mandshurica W. Beck. のスミレは、その常花じょうかの後でく果実のみのっているものを見かけることがある。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
「ありがたいな、田のみのりも、今年は良かったとみえる。紅葉も見頃。百姓たちの顔色も明るいぞ」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みのの夕映すごき乾田ひだひぢうち絶えて鳴かずかはづひさしく
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
暦書が大陸から渡ってこなかった以前には、年のさかいみのりをもって目標としたろうとも言われている。近代においても必ず感謝の祭があり、また家々の饗宴きょうえんがあった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
へんの花弁中、下方の一花弁には、うしろに突き出たきょと称するものを持っている。元来がんらい、このスミレの花は虫媒花ちゅうばいかなれども、今日こんにちではたいていのスミレ類は果実がみのらない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
「ええ今年もみのりが薄いといって、おびえていました。だのに若い人すら働く気がなく、博奕流行ばくちはやり、踊り流行り。親殺しだの、子殺しなどと、いたる所、そんな噂ばかりでした」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
颱風あらし過ぎいたも冷えたるみのになにか蛙の時ならず鳴く
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
動力航行の時代に生まれた者が、最も見落しやすい一事は、昔の船人の心長さ、種く農夫の秋のみのりを待つよりもなお久しく、年に一度の往復を普通としていたことである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
颱風あらし過ぎいたも冷えたるみのになにか蛙の時ならず鳴く
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「ああ、ことしも秋のみのりはよいな」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうして活きて働く彼等と共に、その田のみのりを豊かにすることが、同時にまた自分たちの永く血食けっしょくする道でもあった、という風に少なくとも活きた子孫の者はもとは皆信じていた。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大八島おおやしまの旧国の中にも、数多くの久米または久見くみの地があり、その中の二、三は内陸の山間であるが、他の多くは海から近づき得る低地であって、今も稲田がよくみのる古い土着の地であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)