いろり)” の例文
旧字:
一人の老婆がいろりそばへ坐って炉にかけた鍋の下をいていた。そして、その老婆のうしろの方には顔の白い一人の女が坐っていた。
赤い土の壺 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「大きな声じゃ言えんがね、それは造作ぞうさなくやれるんだよ」とその女は、いろりそばで小さな声で母に話し始めたのだった。
火の奥には過ぎし昔のいろりの火、昔のままに描かれやしつらん。鮮やかに現わるるものは児にや孫にや。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
煤で光るたるきの下に大きないろりが一つ切ってあって、その炉の灰ばかりが、閉め切った雨戸の節穴からさし込む日光の温みにつれ、秋の末らしく湿り、また春の始めらしく軽く乾く。
毛の指環 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
大々だいだいいろりが切ってある。見事な事は、大名のひとたてぐらいは、楽に休めたろうと思う。薄暗い、古畳。せきとして人気ひとけがない。……猫もおらぬ。に火の気もなく、茶釜も見えぬ。
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と歌う蕪村は、常に寒々とした人生の孤独アインザームを眺めていた。そうした彼の寂しい心は、いろりに火の燃える人の世の侘しさ、古さ、なつかしさ、暖かさ、楽しさを、慈母の懐袍ふところのように恋い慕った。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
『寒いなア、馬鹿に寒くなつたな、火燵こたつでもやるかな』などと言つて、ふさいで置いたいろりを明ける。丁度其時分、今年の夏を過した富士見の高原あたりでは、雪が凄じく降り頻つてゐたのである。
初冬の記事 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
表戸を開けてはいると四坪の土間で、わらがいっぱい積まれてあった。八畳の板の間には大きな焚火のいろりが切ってあって、ここが台所と居間を兼ねた室である。その奥に真暗な四畳の寝間があった。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
いろりのほとりにいて暖かくないという者を、想像し得らるるであろうか。
いきなりそれをいろりの五徳に叩きつけました。
利休と遠州 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
でも、そう言われたとき私は口惜くやしかった。仲間をはずれて口惜しまぎれに独り裏道から帰った。帰っていろりそばで、私は思う存分泣き通した。母は見かねて
いろり附近まわりに四人の男女が控えてた。男は怪量を上座じょうざしょうじてから四人をり返った。
轆轤首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
いいさして足をえつ。十とせの昔、楽しきいろり見捨てぬるよりこのかた、いまだこのようなるうれしき火にわざりき。いいつつ火の奥を見つむるなざしは遠きものを眺むるごとし。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
翌早朝、小使部屋のいろりの焚火に救われて蘇生よみがえったのであります。
雪霊続記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)