曲玉まがたま)” の例文
「将軍塚と申すので、南北朝時代の武将などの、遺物があると思いましたところ、曲玉まがたま管玉くだたまが出ようとは、ちと意外でございましたなあ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
戸外こがいには、丑満の暗黒やみにつつまれた木立ちが、真っ黒に黙して、そのうえに、曲玉まがたまのようにかかっているのは、生まれたばかりの若い新月。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
矢の根石や曲玉まがたま管玉等を採集に來る地方の學者——中學の教師などが旅籠屋はたごやの無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。
古い村 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
そして、トムきちが、はっとおもったしゅんかんに、いとゆびからはなれて、曲玉まがたまは、なみなかちてまれてしまいました。
トム吉と宝石 (新字新仮名) / 小川未明(著)
女神はまず急いでかみをといて、男まげにおゆいになり、両方のびんと両方のうでとに、八尺やさか曲玉まがたまというりっぱな玉のかざりをおつけになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
棚の上にひっかかって、曲玉まがたまのように曲がったのをおろしてぶら下げてやったら、だんだん延びてまっすぐになって来た。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
日本の古代の埋葬場で発見される「曲玉まがたま」と呼ばれるコンマの形をした装飾品は、朝鮮では見たことが無いといった。
甲冑のほかには首飾りの曲玉まがたまや、頭の飾りなどのような装飾品も、「意味ある形」として重んぜられていたらしい。
人物埴輪の眼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「かはら」が「がはら」で、曲玉まがたまのことであることには、間もなく気が付いたが、久しく訂正する機会がなかった。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
「人の骨、鏡、剣、曲玉まがたまのたぐい、それらはひとつも見付かりませぬ。ただひとつ素焼の壺があらわれました」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
問題は結局するところ、いわゆる曲玉まがたまの芸術文化が、外から入って来たか、内にあるものが、変展して来たか。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ことにまた手近の脚下を見ると、雲仙の山脚さんきゃくが長く遠くその尾根をひいている翠微すいびの中に聯環れんかん湖であり山上湖であるところの諏訪池がたたえられ、それが曲玉まがたまのような形をして
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
これは曲玉まがたまの一しゆでもあらう。
こういって、若者わかものかえしました。快活かいかつ若者わかものは、荷物にもつのひもをほぐしていとつくり、曲玉まがたまとおして、道化半分どうけはんぶんに、自分じぶんくびにかけてあるきました。
トム吉と宝石 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「さていよいよ掘ってみて、曲玉まがたま管玉くだたまに出られたのでは、いささか失望にございますな」これは少年の声である。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのつぎにはみことが、女神の左のびんにおかけになっている、八尺やさか曲玉まがたまかざりをいただいて、玉の音をからからいわせながら、天真名井あめのまないという井戸で洗いすすいで
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
彼はそこで長い糸を通した玉——それは主としてコンマ形の石である曲玉まがたま、その他の石英、碧玉、及び他の鉱物でつくったもの——を取り出し、それを物立台にかけた(図727)。
長い棒を突いて、胸にきらきらと光る鏡をかけて、頭髪は黒くよもぎのようにもつれて、何か腰の周囲まわりにじゃらんじゃらんと曲玉まがたまのようなものが幾つも吊下っていた。
北の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
掘り出された一個の石棺せきかんが、かれらの前に置かれてある。古風な刀剣、曲玉まがたま管玉くだたま、石棺の中に充ちている。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それから一方では、安河やすのかわの河上からかたい岩をはこんで来て、それを鉄床てつどこにして、八咫やたかがみというりっぱな鏡を作らせ、八尺やさか曲玉まがたまというりっぱな玉で胸飾むなかざりを作らせました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「どんなようにいったら、うまくだまして、あの曲玉まがたま自分じぶんのものにすることができるだろう。」
トム吉と宝石 (新字新仮名) / 小川未明(著)