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徽宗
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きそう
ふりがな文庫
“
徽宗
(
きそう
)” の例文
蹴毬
(
けまり
)
の妙技から、ついに、
徽宗
(
きそう
)
帝に知られ、
鰻
(
うなぎ
)
のぼりの出世をとげた法外な成上がり者なることを今でも覚えている者が少なくなかった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは
宋
(
そう
)
の
徽宗
(
きそう
)
皇帝の
御筆
(
ぎょひつ
)
という
鷹
(
たか
)
の一軸である。酒宴が果てて客がみな帰り去った後、夜が
更
(
ふ
)
けてからかの狐が忍んで来た。
中国怪奇小説集:15 池北偶談(清)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
その他
哥舒翰
(
かじょかん
)
がその馬
赤
(
せき
)
将軍の背に
朝章
(
ちょうしょう
)
を加え、宋
徽宗
(
きそう
)
がその馬に
竜驤
(
りゅうじょう
)
将軍を賜うたなど支那にすこぶる例多いが
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
詳しく言えばその中にも
南定
(
なんてい
)
と
北定
(
ほくてい
)
とあって、南定というのは宋が
金
(
きん
)
に
逐
(
お
)
われて
南渡
(
なんと
)
してからのもので、勿論その前の
北宋
(
ほくそう
)
の時、美術天子の
徽宗
(
きそう
)
皇帝の
政和宣和
(
せいわせんな
)
頃
骨董
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
「その盜まれた名幅は、
巨勢金岡
(
こせかなをか
)
の『救世觀音』でせうか、それとも
徽宗
(
きそう
)
皇帝の『孔雀』でせうか」
銭形平次捕物控:226 名画紛失
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
▼ もっと見る
徽宗
(
きそう
)
皇帝、
梁楷
(
りやうかい
)
、馬遠、
牧渓
(
ぼくけい
)
、それから、この夏珪、みんな北宗画の巨頭なのだ。どんな小幅だつて五千円もする。この幅などは、お父様が、今迄見た中での傑作だ。
真珠夫人
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
徽宗
(
きそう
)
皇帝(一一〇一—一一二四)はあまりに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。
茶の本:04 茶の本
(新字新仮名)
/
岡倉天心
、
岡倉覚三
(著)
「
唐
(
もろこし
)
徽宗
(
きそう
)
皇帝さえ苦心して描いた牡丹の図を、名もない田舎の百姓によって季節外れと嘲られたため描き改めたと申すではないか。役目をもって申し付ける。持ち返って手入れ致せ!」
北斎と幽霊
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
ある商人の書画を
好
(
この
)
みて
玩
(
もてあそ
)
ぶものありしが、その購入する所を聞くに、
金岡
(
かなおか
)
が観音の像一
幀
(
てい
)
代価千両なり。
徽宗
(
きそう
)
の桃に鳩の絵
僅
(
わず
)
かに長さ五、六寸に広さ六、七寸なる小幅が同じく千両なり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
巷間
(
こうかん
)
、その当時の隠れない取り沙汰では、時の風流天子
徽宗
(
きそう
)
は、禁中から
廓
(
くるわ
)
まで地下道を
坑
(
ほ
)
ってしげしげ通っていたものと言い伝えられている。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
徽宗
(
きそう
)
皇帝、
梁楷
(
りょうかい
)
、
馬遠
(
ばえん
)
、
牧渓
(
もっけい
)
、それから、この夏珪、みんな北宗画の巨頭なのだ、どんな小幅だって五千円もする。この幅などは、お父様が、
今迄
(
いままで
)
見た中での傑作だ。
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
美術天子の宋の
徽宗
(
きそう
)
皇帝が、
張戩
(
ちやうせん
)
といふ畫人をして舟に乘じて往いて
山水
(
さんすゐ
)
の
勝
(
しよう
)
を觀て八景の圖を作るやうに命ぜられたといふことも、傳へられてゐる談であるから、八景のはじまりは宋であつて
華厳滝
(旧字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
孔雀
(
くじやく
)
(
徽宗
(
きそう
)
皇帝)
銭形平次捕物控:226 名画紛失
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
これなん、かつての
毬使
(
まりつか
)
い
高毬
(
こうきゅう
)
、いまでは
殿帥府
(
でんすいふ
)
ノ
大尉
(
だいい
)
にして
徽宗
(
きそう
)
の朝廷に飛ぶ鳥落す勢いの
高俅
(
こうきゅう
)
であった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は、
徽宗
(
きそう
)
皇帝の全盛時代からの御林軍の一将校であったから、その
拠
(
よ
)
って来た禁門の守りは、天地が
覆
(
くつが
)
えろうと
易
(
かわ
)
るものでないようにおもいこんでいたものだった。
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こういう
柔弱
(
にゅうじゃく
)
な文化人共が、
徽宗
(
きそう
)
皇帝をとり巻いて、皇帝をしてまるで一箇の画家か美術の保護者みたいなものに仕立て上げてしまったからこそ、ついに北宋を亡ぼしたのである
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
季唐はもとより
徽宗
(
きそう
)
以来の
大家
(
たいか
)
ではあり、晩年にも長巻や大作を描いて、いよいよ北宋画の
宗
(
そう
)
たる巨腕を示したが、その門から出た蕭照も、年も
趁
(
お
)
うて名声を博し、その作品は、李唐以上に
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“徽宗”の解説
徽宗(きそう)は、北宋の第8代皇帝。諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。諱は佶。第6代皇帝神宗の六男(第11子)。
書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる。一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、『水滸伝』のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発した。
(出典:Wikipedia)
徽
漢検準1級
部首:⼻
17画
宗
常用漢字
小6
部首:⼧
8画
“徽”で始まる語句
徽章
徽典館
徽州
徽號
徽
徽号
徽章無
徽音殿