徳川とくがわ)” の例文
「あ、ここが、三方ヶ原でございますか。——なるほど、広いもんだなあ。そして、おじさんたちは、やっぱり徳川とくがわさまのご家来けらいですか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また我が国にても石田三成いしだみつなり徳川とくがわ家の御用史家により、成るべくしざまに書かれたため、その人格および事業はすべて曲げて世に伝えられた。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「豊家を亡ぼし、無辜の民を殺し、加藤かとう福島ふくしま、その他の大小名を取潰した、徳川とくがわ家の横暴無道、眼に余ることばかり」
江戸の火術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
秀忠ひでただと祖父家康いえやすの素志を継いで、一つにはまだ徳川とくがわの天下が織田おだ豊臣とよとみのように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で
豊臣とよとみ秀吉ひでよしや〔徳川とくがわ家康いえやすの如きはその人格の果して如何いかなる人で在ったかは、今日未だ断定することは出来ない。
青年の新活動方面 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
豊太閤ほうたいこう朝鮮ちょうせんを攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智そうつしまのかみよしとし徳川とくがわ家のむねけてきもいりをして、慶長けいちょう九年のれに、松雲孫しょううんそん文※ぶんいく
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
徳川とくがわ時代、諸大名しょだいみょうの御前で細工事さいくごとご覧に入れた際、一度でも何のなにがしがあやまちをしてご不興をこうむったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
徳川とくがわ八代の将軍吉宗よしむねの時代(享保きょうほう十四年)その落胤らくいんと名乗って源氏坊げんじぼう天一が出た。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
江戸えど時代に元園町という町はなかった。このあたりは徳川とくがわ幕府の調練場となり、維新後は桑茶栽付所となり、さらにひらかれて町となった。昔は薬園であったので、町名を元園町という。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
亮の家の祖先は徳川とくがわ以前に長曾我部ちょうそかべ氏の臣であって、のち山内やまのうち氏に仕えた、いわゆる郷士であった。曾祖父そうそふは剣道の師範のような事をやっていて、そのころはかなり家運が隆盛であったらしい。
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「あの、近ごろ浜松はままつのご城下じょうかで、武田伊那丸たけだいなまるというかた徳川とくがわさまの手でつかまったそうですが、それは、ほんとでございますか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然るに、不幸にも徳川とくがわ三代将軍家光いえみつの時に至って、鎖国令が発布されて外国との交通は全然杜絶するに至った。
「その徳川とくがわにそむいた人々をかたっぱしからすくいだせば、百人にも二百人にものぼることだろうが、おれはその仕事をはじめる前に、もっと痛快で、もっともっと胸のすく仕事を考えているのだよ」
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
新羅三郎しんらさぶろう以来二十六せいをへて、四りん武威ぶいをかがやかした武田たけだ領土りょうどは、いまや、織田おだ徳川とくがわの軍馬に蹂躪じゅうりんされて、焦土しょうどとなってしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飯尾豊前ぶぜんも、彼と同じ今川家の被官ひかんなので、この地方の民治警備には、たえず連絡をもち、また、四隣の国、——徳川とくがわ織田おだ武田たけだなどの侵略にも、常に備えなければならなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)