得態えたい)” の例文
喊声かんせいは諸所に聞える。陽は早や暮れて、それが一そう不気味だった。のみならず得態えたいの知れない火光が林をとおして方々に見えたから
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もつとも、この熱さましの頓服と云ふのは、銭惜しみする妻が近くの薬局で調合させた得態えたいの知れぬ安物なので、効き目なぞ怪しいのだらう。
現代詩 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
「ふふーン」兄は大きい歎息ためいきをついて、白木警部のさし出す懐中電灯の下に、その得態えたいの知れない白毛しらげに見入りました。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
刑事がそう言って私に詰寄ると、そばから橘が片頬に皮肉な、又得意そうな得態えたいの知れぬ笑いをうかべて刑事に報いた。
火縄銃 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
だが、どうかすると、彼にはこの地球全体が得態えたいの知れない病苦に満ち満ちた夢魔のようにおもえる。……幾日も雨の訪れない息苦しさがあるとき彼をぐったりさせていた。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
素早く僕は宛名に眼を通し出したが、急いでるのと、何しろどれもこれも非道ひどい悪筆のうえに、おまけに得態えたいの知れない外国語がおもなので、名前だけでも容易に読めない。
その頃のかやの稚い胸には得態えたいの知れぬ憂鬱がひそかに忍び入ることもしばしばあった。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
はたから見てはなは得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
何とも得態えたいの知れぬ悪夢に襲われてはっと眼が覚める、そうすると今度は中々寝つかれず、殺生谷の鬼火が今にも其処そこへ現われるような気がしたり、怨霊の呻きが聞えるように思ったりして
殺生谷の鬼火 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それで声が続かなくなるような事でもあると、得態えたいの知れない毒素に当って血を吐いて死ぬると云われていた。木客たちは顔を見合わして黙っていたが、前方の声は後から後からと聞えて来た。
死んでいた狒狒 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そしてあとでは得態えたいの知れない
不意に自己を失ったような引ッくりかえかたをした白衣の体には、どこから飛んで来るのやら、得態えたいの知れぬ矢が突き刺さッていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何だろう。あれは機械なのだろうか。それとも生物なのだろうか」片唾かたずをのんでいた敬二少年は、思わずこうつぶやいた。まった得態えたいのしれない怪球であった。
○○獣 (新字新仮名) / 海野十三(著)
得態えたいの知れない蛮語しか話さない頸の黄色い一羽の鸚鵡おうむを貰うためには、最上等の無煙炭みたいに紫いろの熱気を吐くコンゴウ生れの火夫とでもその船の碇泊中同棲することを辞しないのです。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
いやいや、得態えたいもしれぬこの同勢で、事も俄に、荒々と、お驚かせしてはなるまい。まず一同で、外から仔細をお告げ申しあげ、よく御得心を
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真下を見ると、陸奥の艦橋かんきょうに、何だか見慣れない奇妙な形の器械が、クルクルと廻転しているのが見えた。そうだ。佐世保させぼ軍港で、得態えたいの知れぬ兵器を搬入はんにゅうしたことがあったが、あれに違いない。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
二階でそれを物音で察した市十郎は、ほッと、得態えたいのしれない吐息をついた。そして、やがてお島が梯子だんを上ってくるのを知ると、ごろんと、仰向けに寝ころんでいた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いくらせわしない事があったにせよじゃ、あんな得態えたいのわからぬ容体のお武家を、玄関先にほうり込んで、逃げるように行ってしまうなんて怪しからん仁があるものではない」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昼、怪しげ男を捕り逃がしたこともある上、いつになく今夜にかぎって、得態えたいのしれぬ人影が、近くをうろついている気配ゆえ、御用心あって欲しい、という見張からの伝言だった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京もはずれの蹴上けあげの下、今熊野いまくまのの裏に、ちょっと得態えたいのしれない都の中の村がある。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よそおいはといえば、例の、太阿たいあノ剣を背に高く負い、つねの黒衣へ金帯きんたいを締め、豹皮ひょうひ胸甲むねあてくさり下着をのぞかせているのみで——将軍か、公卿か、軍属の道教僧か——得態えたいの知れぬ姿であった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もとよりあの御方です。大塔ノ宮という一歯いっしをのぞけば、そこらじゅうの得態えたいの知れぬ腫熱うみねつもみな自然に解消するでしょう。いずれにいたせ、ご大望のためには、放置してはおかれませぬ」
と、どじょうひげは、そのどじょう髯をつまんで考えこんだが、この得態えたいの知れない青坊主、或は、大言壮語だけで自分を煙に巻いているはらかも知れない。逆に出たらあわてて尻尾を出す奴だろう。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
得態えたいのしれない公案や一かつをくれて取り澄ましていられると
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)