だいら)” の例文
刈安峠を踰えブナ坂を下り、だいらの小屋へは立ち寄らずに、越中沢(ヌクイ谷)を徒渉としょうして黒部川の河原に出で、十五分ばかりり休憩した。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
姥捨うばすてかんむりたけを右のほうに見ながら善光寺だいらを千曲川に沿って、二里ばかりかみのぼると、山と山の間、すべてひろい河原地へ出る。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは伊那いな盆地から松本だいらへ吹き抜ける風の流線がこの谷に集約され、従って異常な高速度を生じたためと思われた。
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
くまだいらで坂本見れば、女郎が化粧して客待ちる……というその坂本の宿よりはなお十町も東に当る横川に、いわゆる碓氷峠のお関所があるのであります。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただ川を下って来る筏師いかだしの話では、谷の奥の八幡平はちまんだいらと云う凹地くぼちに炭焼きの部落が五六軒あって、それからまた五十丁行ったどんづまりのかくだいらと云う所に
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
右岸ではだいらノ小屋の少し下から既にそれが始まって、次第に高さを増し、赤沢岳の支脈が鼻づらをぐいと川に突き出しているあたりでは
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
奈良井の大蔵が、たとい善光寺だいらへ出るにしても、中山道へ向うにしても、ここを通らないという理窟は考えられない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第四日は五色温泉を経てさんの峡谷を探り、もし行けたらば八幡平はちまんだいらかくだいらまでも見届けて、木樵きこりの小屋にでもめてもらうか、しおまで出て来て泊まる。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
案内者助七の話では、だいらの小屋まで一週間あれば行けるとの事で、自身も一、二度通ったことがあるらしい口振りであった。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
合せて、加賀、能登、越中の賊兵も、名越太郎時兼の麾下きかに、善光寺だいらへ打って出て、ために土地ところの守護国司らの官軍は、千曲川そのほかの戦場でことごとく打ち破られ、はや、手のくだしようもありません
そして黒部別山に登ることも其辺からは絶望に近い。それで私は果して助七はだいらまで通ったことがあるのであろうかとのうたがいが後に生じたのであった。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「川中島か、善光寺だいらの西か」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内蔵釛谷の合流点に達することを得れば、最早もはや危険区域を脱出したので、尚お多少の困難はあっても、だいらの小屋までは左岸を辿って面白い旅が出来る。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
其架橋地点が果しての辺であるかを確め得なかったが、冠君の蹈査した結果から推せば、仮に架橋し得たとしても、左岸の山側を辿ってだいらに出ることは
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
だいらから東沢までは全峡中遡行最も容易な場所である。合流点を過ぎて右岸を三、四町行くと川が彎曲している。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
だいらから室堂へ行くには、中ノ谷でザラ峠への道と別れ、この乗越をえて御山谷に入り、一ノ越へ出るのが最も捷径であり、古くから利用されていたらしい。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
明治二十九年の七月下旬に自分が大胆にもただ一人此峠を踰えて立山へ登った時は、だいらノ小屋へ着く迄に二日半を費した程で、当時赤城榛名妙義や男体浅間しくは富士御岳などの外は
針木峠の林道 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
晩の汁の実に採集した。東沢の合流点の上で三度徒渉して右岸に移った、ここは膝までしかないので少しの困難もない。だいらでは蝦夷蝉らしい声を耳にしたが、途中では駒鳥がさかんに鳴いていた。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)