平沙へいさ)” の例文
すると、蕭々しょうしょうたる平沙へいさよし彼方かなたにあたって、一すい犀笛さいぶえが聞えたと思うと、たちまち、早鉦はやがねや太鼓がけたたましく鳴りひびいた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、行けども、行けども、十里の平沙へいさで、一方は海の波の音ばかり——暫くして、ようやく一つの人影を認めました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
匈奴きょうどはまたしても、元の遠巻き戦術にかえった。五日め、漢軍は、平沙へいさの中にときに見出みいだされる沼沢地しょうたくちの一つに踏入った。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
しかりといえども識者の眼識は境遇の外に超逸す。熊沢蕃山くまざわばんざんの如き、その一人なるからんや。彼はびっこ駝鳥だちょうなれども、なお万里の平沙へいさはしらんとする雄気あり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
対岸の平沙へいさの上にM山が突兀とっこつとして富士型にそびえ、見詰めても、もう眼が痛くならない光の落ちついた夕陽が、銅のふすまの引手のようにくっきりと重々しくかかっている。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
洲股すのまたノ駅ヲ経テ小越川ニいたル。蘇峡そきょうノ下流ニシテ、平沙へいさ奇白、湛流たんりゅう瑠璃るりノ如クあおシ。麗景きくスベシ。午ニ近クシテ四谷ニいこヒ、酒ヲ命ズ。薄醨はくり口ニ上ラズ。饂麺うんめんヲ食シテ去ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
輪郭りんかくにじんだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白くぼうとして空と水の境が無く、岸の平沙へいさは昼のように明るく柳の枝は湖水のもやを含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶ばんだの花はあられに似て
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
白石はくせき手簡しゆかんに八景のはじめは宋人か元人かにて宋復古と申す畫工云々とあるが、それは夢溪筆談に出てゐる度支員外郎宋迪そうてきの事で、平沙へいさ落雁らくがん遠浦ゑんぽ歸帆きはん山中さんちゆう晴嵐せいらん江天こうてん暮雪ぼせつ洞庭どうてい秋月しうげつ瀟湘せうしやう夜雨やう
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
場所は熱田の神宮の東に続く平沙へいさの地であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
舟は難波なにわ(大阪)の平沙へいさや芦やまばら屋根を横に見つつ、まだひるまえも早目に、長柄ながらの河口に着いていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
李陵自身毎日前山の頂に立って四方をながめるのだが、東方から南へかけてはただ漠々ばくばくたる一面の平沙へいさ、西から北へかけては樹木に乏しい丘陵性の山々が連なっているばかり
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
敵の追撃をふり切って夜目にもぼっと白い平沙へいさの上を、のがれ去った部下の数を数えて、確かに百に余ることを確かめうると、李陵りりょうはまた峡谷の入口の修羅場しゅらばにとって返した。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
廊、また廊を曲がって“平沙へいさノ庭”とよぶつぼの中橋を渡ると、執権御所の錠口じょうぐちだった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あし平沙へいさと、びょうとして、ただ水である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)