左遷させん)” の例文
ただしだぞ、万一またも失策しくじッたばあいは、有無うむをいわせず頭を丸坊主にして、国元の寺へ左遷させんするぞと、先に言い渡してからつらを出せ
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
名古屋の支店へ左遷させんされたのである。ことしの年賀状には、百合とかいう女の子の名前とそれから夫婦の名前と三つならべて書かれていた。
彼は昔の彼ならず (新字新仮名) / 太宰治(著)
そこで父の右大臣は陰謀を知って奏することを怠ったという罪に問われて、太宰員外師に左遷させんされ、遠く九州へ追い落されてしまったのである。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
遠方ゑんほう左遷させんことまり今日けふ御風聽ごふいてうながらの御告別いとまごひなりとわけもなくいへばおたみあきれて、御串談ごじようだんをおつしやりますな
経つくゑ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
○さて時平が毒奏どくそうはやくあたりて、同月廿五日左降さがう宣旨せんじ下りて右□臣のしよくけづり、従二位はもとのごとく太宰権帥だざいごんのそつとし(文官)筑紫つくし左遷させんに定め玉へり。
儂が都からここへ左遷させんされると聞いた時には、まるで島流しにでもされるような気になってずいぶん心細い嫌な思いをしたものだが、どうだ、ここへ来てみると
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
「拝復、今回は栄転に無之これなくむし左遷させんに候。同僚の国文学と議論の末、腕力に及び候為め也。喧嘩はこれにて三度目ゆえ、学校長に気の毒と存じ、逃げ出し申候。御一笑被下度くだされたく。早々頓首」
変人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
あれ以後、林冲が逃げた滄州事件のとばッちりからこう大臣の不興をかい、この北京ほっけい左遷させんされていた者たちである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
○さて時平が毒奏どくそうはやくあたりて、同月廿五日左降さがう宣旨せんじ下りて右□臣のしよくけづり、従二位はもとのごとく太宰権帥だざいごんのそつとし(文官)筑紫つくし左遷させんに定め玉へり。
綾麻呂 臣、石ノ上ノ綾麻呂、今、無実無根の讒言ざんげんこうむって、平安の都を退下たいげし、国司となって東国に左遷させんされんとす。………文麻呂いいか? もう一度、返答だ!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
彼のために左遷させんさせられたり逼塞ひっそくしたものもずいぶんあったが、すべて彼の「私なき心」には怨む声もなく、かえって孔明の死後には、そうした人々までが
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて今を去㕝さること(天保十一子なり)五百四十一年前、永仁えいにん六年戌のとし藤原為兼卿ためかねきやう佐渡へ左遷させんの時、三嶋郡寺泊てらどまりえき順風じゆんふうまち玉ひしあひだ初君はつぎみといふ遊女いうぢよをめし玉ひしに
さて今を去㕝さること(天保十一子なり)五百四十一年前、永仁えいにん六年戌のとし藤原為兼卿ためかねきやう佐渡へ左遷させんの時、三嶋郡寺泊てらどまりえき順風じゆんふうまち玉ひしあひだ初君はつぎみといふ遊女いうぢよをめし玉ひしに
しかも、豊は国法の曲ぐべからざることを説いてゆるさなかったので、天子はかえって彼を憎み、彼の官職をとり上げて、城門の校尉という一警手に左遷させんしてしまった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
 御若冠の時とは申ながら、賢者けんしやきこえある重臣の 菅公を時平大臣おとゞが一時の讒口ざんこうを信じ玉ひて其実否をもたゞし玉はず、卒尓そつじに菅公を左遷させんありしは 御一代の失徳しつとくとやいふべき。
“——中唐の元和十年、私は九江郡の司馬しば左遷させんされ、秋の一夜、客を埠頭ふとうに見送った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
 御若冠の時とは申ながら、賢者けんしやきこえある重臣の 菅公を時平大臣おとゞが一時の讒口ざんこうを信じ玉ひて其実否をもたゞし玉はず、卒尓そつじに菅公を左遷させんありしは 御一代の失徳しつとくとやいふべき。
江戸表の吉田忠左衛門、奥田孫太夫、ふたりの書面には、大学長広は、その後、わずか唯一つの住居すまいとして取り残されてあった木挽町こびきちょうの屋敷も召上げられ、芸州広島へ左遷させんという報告なのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
穆家ぼくけの美しい末娘が琵琶びわをかかえて、この地方の名所、潯陽江じんようこうのゆかりにちなみ、かの中唐ちゅうとうの詩人白楽天はくらくてんがそこの司馬しば左遷させんされたときに作ったという“琵琶行びわこう”を聴かせてくれたことである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)