くわん)” の例文
(五二)くわんなればすなは名譽めいよひとちようし、きふなればすなは介冑かいちうもちふ。いまやしなところもちふるところあらず、もちふるところやしなところあらずと。
然るにわたくしは鑑三郎と相識るに至つて、窪田くわんさんの所蔵の池田氏系図並に先祖書を借ることを得た。これが新に加はつた第四の材料である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
じんは以て下にあつけんは以てもちゐるにたるくわしてゆるめずくわんしてよくだんずとされば徳川八代將軍吉宗公の御治世ぢせい享保年中大岡越前守忠相殿たゞすけどの勤役きんやく數多あまた裁許さいきよ之ありしうち畔倉あぜくら重四郎ぢうしらう事蹟じせき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
くわん左千夫さちを信綱茂吉と膝めて歌つくりしも明治の末か
斎藤茂吉の死を悲しむ (旧字旧仮名) / 吉井勇(著)
菊池くわんも人なれ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
或日鑑三郎は現住所福島市大町から上京して、再従兄さいじゆうけい窪田くわんさんと共にわたくしの家を訪うた。啓の父清三郎の子が主水もんど、主水の子が即寛で、現に下谷仲徒士町したやなかかちまちに住してゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
じんは以てしもあつけんは以てもちゐるにたるくわにしてゆるめずくわんにしてよくだんずとまことなるかな徳川八代將軍吉宗公の御代名譽の官吏やくにん多しと雖も就中なかんづく大岡越前守忠相たゞすけ殿は享保二年より元文元年まで二十年のあひだ市尹まちぶぎやう勤役中きんやくちう裁許の件々其明斷を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)