トップ
>
家康
>
いえやす
ふりがな文庫
“
家康
(
いえやす
)” の例文
「ごもっともです。しかし、
伊那丸
(
いなまる
)
さまの大望は、ひろい天下にあるのではござりませぬか。
家康
(
いえやす
)
ひとりは小さな敵です。さ、早く」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大久保彦左ヱ門
忠教
(
ただたか
)
といえば、徳川
家康
(
いえやす
)
以来の名臣で、十六歳のときから戦場の功名数しれず、大名にも取りたてられるはずのところを
幻術天魔太郎
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
吾人はその経歴や功績を見てたどるべき道を知る、前弁士は
清盛
(
きよもり
)
、
頼朝
(
よりとも
)
、
太閤
(
たいこう
)
、
家康
(
いえやす
)
、ナポレオンを列挙し吾人の祖先がかれらに
侵掠
(
しんりゃく
)
せられ
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
父
秀忠
(
ひでただ
)
と祖父
家康
(
いえやす
)
の素志を継いで、一つにはまだ
徳川
(
とくがわ
)
の天下が
織田
(
おだ
)
や
豊臣
(
とよとみ
)
のように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で
青銅の基督:――一名南蛮鋳物師の死――
(新字新仮名)
/
長与善郎
(著)
〔
豊臣
(
とよとみ
)
〕
秀吉
(
ひでよし
)
や〔
徳川
(
とくがわ
)
〕
家康
(
いえやす
)
の如きはその人格の果して
如何
(
いか
)
なる人で在ったかは、今日未だ断定することは出来ない。
青年の新活動方面
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
▼ もっと見る
ところが、問題の人が明君の誉高き池田新太郎少将光政で、徳川
家康
(
いえやす
)
の外孫の格。将軍家に取っては甚だ煙ッたい人。
備前天一坊
(新字新仮名)
/
江見水蔭
(著)
家康
(
いえやす
)
の本陣へ呼び付けられた
忠直卿
(
ただなおきょう
)
の家老たちは、家康から一たまりもなく叱り飛ばされて散々の首尾であった。
忠直卿行状記
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
徳川
家康
(
いえやす
)
は三人を
紫野
(
むらさきの
)
の
大徳寺
(
だいとくじ
)
に
泊
(
と
)
まらせておいて、翌年の春
秀忠
(
ひでただ
)
といっしょに
上洛
(
じょうらく
)
した時に
目見
(
めみ
)
えをさせた。
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
家康
(
いえやす
)
は「上を見な」「身の
程
(
ほど
)
を知れ」の「五字七字」を秘伝とまで考えたから、家臣の美服を戒め
鹵簿
(
ろぼ
)
の倹素を命じた。そこに趣味の相違が現われている。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
開基
(
かいき
)
は
了誉上人
(
りょうよしょうにん
)
、
始祖
(
しそ
)
家康
(
いえやす
)
の生母がここに葬られているために、寺領六百石を領して、開山堂、
弁財天祠
(
べんざいてんし
)
、
外久蔵主稲荷
(
たくぞうぬしいなり
)
、
常念仏堂
(
じょうねんぶつどう
)
、
経堂
(
きょうどう
)
、
無縁塚
(
むえんづか
)
坊舎
(
ぼうしゃ
)
が三カ寺、
所北寮
(
しょけのりょう
)
が百軒
旗本退屈男:11 第十一話 千代田城へ乗り込んだ退屈男
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
武田氏は景憲十一歳の時に
亡
(
ほろ
)
んだのであるが、景憲の父の世代に属する武田の遺臣のうちには
家康
(
いえやす
)
の旗下についたものが多く、景憲はそれらの人たちからいろいろなことを聞いたであろう。
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
抱いていらっしゃるのだ。正しく
家康
(
いえやす
)
公のお孫にあたり、またご三家の一として、身は幕府の柱石と生れづいておいでになるが
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
清盛
(
きよもり
)
、
頼朝
(
よりとも
)
、
太閤
(
たいこう
)
、
家康
(
いえやす
)
、ナポレオンが生まれなければ、他の英雄が生まれて天下を統一するであろう、非凡の才あるものが凡人を
駆使
(
くし
)
するのは
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
すなわち神君
家康
(
いえやす
)
が、ひどくこの千子院を忌みきらったからのことなのです。
右門捕物帖:07 村正騒動
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
今から
丁度
(
ちょうど
)
百年前、慶長十八年八月十五日に亡くなった、大久保石見守という人は、若い時分は能役者だったが、東照
家康
(
いえやす
)
公の
御眼識
(
おめがね
)
に叶って、金山奉行を承り、日本中の金銀銅鉄鉛の坑領り
大江戸黄金狂
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
三河の松平元康——徳川氏と改称して同時に名も
家康
(
いえやす
)
と改めた彼の許へも、婚約をすすめて、軍事的な盟約を、さらに親族的な結びで強めた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
家康
(
いえやす
)
、諸君はかれらを英雄なりというでしょう、しかしかれらがどれだけ諸君の祖先を幸福にしましたか、個人がその知力と腕力をもって他の多くの個人を征服し、
侵掠
(
しんりゃく
)
し
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
まんいち、時をあやまって、お父上が、
家康
(
いえやす
)
の手にでも
捕
(
とら
)
われたのちには、もうほどこすすべはないぞ、この伊那丸が
生涯
(
しょうがい
)
の大不孝となろうぞ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わたくしの考えでは、
家康
(
いえやす
)
めは、あのするどい目で、若さまのようすから心のそこまで読みぬいてしまったとぞんじます。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
近くの地には、
紫野
(
むらさきの
)
の大徳寺とか、その他、宿舎として
恰好
(
かっこう
)
な建物がないではないが、
家康
(
いえやす
)
はわざと
鷹
(
たか
)
ヶ
峰
(
みね
)
の
麓
(
ふもと
)
に野陣を
布
(
し
)
いて、将士と共に野営していた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三河武士が主君
家康
(
いえやす
)
を
扶
(
たす
)
けて、かれの大志をなさしめた要因は、三河武士すべてが一致して、
農
(
のう
)
を
本
(
もと
)
とし、農武ひとつに、艱苦を克服して来たからである。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
家康
(
いえやす
)
の
場合
(
ばあい
)
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
若
(
わか
)
き
家康
(
いえやす
)
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
家康
(
いえやす
)
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“家康(
徳川家康
)”の解説
徳川 家康(とくがわ いえやす、德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川氏(将軍家、御三家など)の祖。三英傑の1人に数えられる。
(出典:Wikipedia)
家
常用漢字
小2
部首:⼧
10画
康
常用漢字
小4
部首:⼴
11画
“家康”で始まる語句
家康公
家康徳川