奥羽おうう)” の例文
旧字:奧羽
奥羽おうう地方へゆくと、家々の若い働き手をカリコというが、これもかるい子で、かるうのが、かれらのおもな仕事だったからである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大月おおつき附近で警戒警報、午後二時半頃上野駅に着き、すぐ長い列の中にはいって、八時間待ち、午後十時十分発の奥羽おうう線まわり青森行きに乗ろうとしたが
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その顕家は、奥羽おううの鎮守府大将軍という肩書こそかがやかしいが、年は、ことしちょうど二十歳はたちにすぎない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明治廿六年の夏から秋へかけて奥羽おうう行脚を試みた時に、酒田から北に向って海岸を一直線に八郎湖まで来た。それから引きかえして、秋田から横手へと志した。
くだもの (新字新仮名) / 正岡子規(著)
一日のうちに九州から奥羽おううへかけて十数か所に山火事の起こる事は決して珍しくない。
藤の実 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それに出羽でわと名づけた地域をふくめ、「奥羽おうう」の名でも呼ばれました。昔はえびす即ち蝦夷えぞが沢山住んでいた地方で、方々から出てくる石器や土器がその遠い歴史を物語ってくれます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さらに京都まで行って見ると、そこではもはや奥羽おうう征討のうわさで持ち切っていた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから少年は町から町へ漂泊ひょうはくすることを覚えた。汽車にも乗せた人があるらしい。奥羽おうう、北国の町にもかれ放浪ほうろう範囲はんいは拡張された。それらの町々でも少年の所作に変りはなかった。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
奥羽おううその外の凶歉きょうけんのために、江戸は物価の騰貴した年なので、心得違こころえちがえのものが出来たのであろうと云うことになった。天保四年は小売米こうりまい百文に五合五勺になった。天明てんめい以後の飢饉年ききんどしである。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
慶応けいおう四年二月(この年九月に明治となる)、勅命をほうじて奥羽おうう征伐の軍を仙台せんだいに進めた九条道孝卿くじょうみちたかきょうは、四月のはじめまず庄内しょうない酒井忠寛さかいただひろを討つため、副総督沢為量さわためますに命じて軍勢を進発させた。
梟谷物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
奥羽おううきっての勢力家で、小心で、大の野心家であった伊達政宗だてまさむねさえ、この年少気鋭な三代将軍の承職に当たって江戸に上った際、五十人の切支丹の首がすずもりではねられるのをのあたり見て
その中で特に、赤膚媛アカラヒメと標記された若い女性の一体と、片氏月姫ガシグツキと標記された一体とが、いちじるしく僕の注目をひいた。前者は日本奥羽おうう地方出土とあつて、豊かな乳房がありありと面影をとどめてゐる。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
しかし奥羽おうう地方の人たちは、つい近ごろまで冬も麻を着ていた。そうしてかれらの手織ておりには、そんな薄い布は入用がなかった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「あんな小さい親王さまも、みなと一しょに、みちのく(奥羽おうう)の遠くへ行くのか」
森数樹もりかずき兄と一緒であった。昭和九年九月一日、奥羽おうう地方民藝調査の折、秋田を訪うた。だがこの古い町に期待したほどの品物はなかった。黄八丈きはちじょうはあるが、本場のにはどうしても劣る。
思い出す職人 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
今年元禄ふたとせにや、奥羽おうう長途の行脚あんぎや只かりそめに思ひ立ちて呉天ごてんに白髪のうらみを重ぬといへども、耳にふれてまだ目に見ぬさかひ、もし生きて帰らば、と定めなき頼みの末をかけ
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東京都下でも多摩川たまがわ上流の山村、千葉茨城二県の沼沢しょうたく地方、または奥羽おうう越後えちごの一部などにも、りっぱな作品がいくつとなくのこっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その年の九月が来て見ると、奥羽おううの戦局もようやく終わりを告げつつある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中部地方の人々にはめずらしいが、いわゆるコナベヤキまたはナベコ鳥の物語は奥羽おううには弘く行われていたらしい。
報告のなかったのは奥羽おうう六県と富山以西の日本海側の諸県および長野・岐阜の中部二県だけで、近畿・東海にもぽつぽつとあるが、やはり瀬戸内海のまわりが多い。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
クジナという名詞もまた飛び散って奥羽おううの処々に行われている。例えば宮城山形の二県の南半分でクジナまたはグジナ、九戸くのへ葛巻くずまき附近ではクジッケァともいっている。
例えば奥羽おううの所々の田舎では、碧く輝いた大空の下に、風はやわらかく水の流れは音高く、家にはじっとしておられぬような日が少し続くと、ありとあらゆる庭の木が一せいに花を開き
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奥羽おううで一般にいっパイと謂い、九州ではゴひとつと称えたのは、ともに今日の桝目ますめの約二ごうしゃくであった。是が一人扶持いちにんぶちの五合を二つに分けて、朝夕かたけずつ食わせた痕跡であることは疑いが無い。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
という囃し言葉を唱えつつ、なにか細長いものを手で廻したということであるが、それと同じ名前は関東・越後えちご奥羽おうう地方まで通用していて、こちらはいずれもみな子どもの遊びであり、唱えごとは
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)