天王寺てんのうじ)” の例文
東京天王寺てんのうじにて菊の花片手に墓参りせし艶女えんじょ、一週間思いつめしがこれその指つきを吉祥菓きっしょうかもたたも鬼子母神きしぼじんに写してはと工夫せしなり。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何ぞ気イまぎれるようなことはと思いまして、——先生は御存知でしょうか、——あのう、天王寺てんのうじの方に女子技芸学校がっこいうのんありますねん。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
天王寺てんのうじ別当べっとう道命阿闍梨どうみょうあざりは、ひとりそっと床をぬけ出すと、経机きょうづくえの前へにじりよって、その上に乗っている法華経ほけきょう八のまきあかりの下に繰りひろげた。
道祖問答 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
みるみるせて行った。診立て違いということもあるからと、天王寺てんのうじの市民病院で診てもらうと、果して違っていた。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
谷中やなか感応寺かんのうじ(今の天王寺てんのうじ)、湯島天神、目黒不動尊などで興行した、いわゆる天下の三富といった、格式のあるのは別として、市中に催された富興行のうちには
どんなごどをしてがるんだか? 天王寺てんのうじ竜雄たつおさんなんざあ、中学校を出て、東京で三年も勉強してせえ、他所よそさ行ったんじゃ、とっても駄目だって帰って来たじゃ。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺てんのうじだの中の島だの千日前せんにちまえだのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫きわまるものであった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大阪の天王寺てんのうじの五重塔が倒れたのであるが、あれは文化文政頃の廃頽期はいたいきに造られたもので正当な建築法に拠らない、肝心な箇所に誤魔化ごまかしのあるものであったと云われている。
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは何処ですと聞くと、谷中やなか天王寺てんのうじの手前の谷中谷中町三十七という所で、五重塔の方へ行こうとする通りに大きな石屋があるが、その横丁を曲って、石屋の地尻じじりで、門構えの家。
しかし後日談を云うと、あれから三ヶ月ほどして、帆村は大阪の天王寺てんのうじのガード下に、彼らしい姿を発見したという。しかし顔色はいたく憔悴しょうすいし、声をかけてもしばらくは判らなかったという。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
こうした事もあろうかと、拙尼も天王寺てんのうじの庵室にジッとしてはいられず、後からけて来て見れば、推諒すいりょう通りこの始末じゃ。もう三百両の金無駄にされても好い。お前が又出世せずとも宜しい。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
私が子供の時、父は彼岸の中日には必ず私を天王寺てんのうじへつれて行ってくれた。ある年、その帰途父はこの落日をして、それ見なはれ、大きかろうがな、じっと見てるとキリキリ舞おうがなといった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
上野の大仏は首が砕け、谷中やなか天王寺てんのうじの塔は九輪くりんが落ち、浅草寺の塔は九輪がかたぶいた。数十カ所から起った火は、三日の朝辰の刻に至って始て消された。おおやけに届けられた変死者が四千三百人であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
オオさようでいらっしゃいますか。私たち母子も、柳斎どのとは、国もと以来の長いお知りあい……。が、近年、都に住もうておりますゆえ、四天王寺てんのうじもうでのせつには、こうして久しぶり、お会いするのを
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けだしこのあたりは難波津なにわづの昔からある丘陵きゅうりょう地帯で西向きの高台がここからずっと天王寺てんのうじの方へ続いている。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「こっちへ行くと谷中の天王寺てんのうじの方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
天王寺てんのうじの新世界のわきだす」
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
天王寺てんのうじ未来記みらいき
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)