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大船
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たいせん
ふりがな文庫
“
大船
(
たいせん
)” の例文
防波堤が無かつたら直ちに
印度
(
インド
)
洋の
荒海
(
あらうみ
)
に面したコロムボは決して
今日
(
こんにち
)
の如く多数の
大船
(
たいせん
)
を引寄せ
得
(
う
)
る良港とは成らなかつたであらう。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
紀伊の藤代から
大船
(
たいせん
)
を出して、四五十反の帆に東々北の風を受ければ、
忽
(
たちま
)
ちにして煩わしい此の世界はこちらに残り、あちらの世界はあちらに現われる。
雪たたき
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
沖に漂いました
大船
(
たいせん
)
の難破一
艘
(
そう
)
、乗組んだ二百あまりが、方角を認め、救われまして、
南無大権現
(
なむだいごんげん
)
、媛神様と、船の上に黒く並んで、
礼拝
(
らいはい
)
恭礼をしましてござる。
多神教
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
故
(
ゆえ
)
あって越後新潟へまいります途中、信州二居ヶ峰、中の峠にて山賊に出会い追い
往
(
ゆ
)
く
中
(
うち
)
、女房を見失い、
彼方
(
あちら
)
此方
(
こちら
)
と尋ねますと、新潟沖に
大船
(
たいせん
)
があって、其の船に海賊が……
後の業平文治
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
崩平
(
くえんたいら
)
という山を一巡すると
湧出
(
わくで
)
山という山が見え出す。続いて
九重
(
くじゅう
)
山、
久住
(
くじゅう
)
山、
大船
(
たいせん
)
山、黒岳などという山が前面に現れた。
恰
(
あたか
)
も列座の諸侯を見るような感じで威風堂々と並んでいた。
別府温泉
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
▼ もっと見る
かかる間も、
大船
(
たいせん
)
の帆はいっぱいな風をうけて風の速さと速力を競っている。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
解纜
(
かいらん
)
す、
大船
(
たいせん
)
あまた。——
邪宗門
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
若い人は
筑前
(
ちくぜん
)
の
出生
(
うまれ
)
、博多の
孫一
(
まごいち
)
と云ふ
水主
(
かこ
)
でね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百
石
(
こく
)
の
大船
(
たいせん
)
に、
乗組
(
のりくみ
)
の
人数
(
にんず
)
、船頭とも二十人、
宝暦
(
ほうれき
)
午
(
うま
)
の
年
(
とし
)
十月六日に
印度更紗
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
己
(
おら
)
ア新潟通いの船頭だが、
昨日
(
きのう
)
の
難風
(
なんぷう
)
で、さしもの
大船
(
たいせん
)
も南の
方
(
ほう
)
へ吹付けられ、
漸
(
ようよ
)
う
此処
(
こゝ
)
まで帰る途中、
毀
(
こわ
)
れた小舟に二人の死骸、やれ不憫なことをした、定めし昨日の風で難船したのだろうと
後の業平文治
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
解纜
(
かいらん
)
す、
大船
(
たいせん
)
あまた。——
邪宗門
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
若
(
わか
)
い
人
(
ひと
)
は
筑前
(
ちくぜん
)
の
出生
(
うまれ
)
、
博多
(
はかた
)
の
孫一
(
まごいち
)
と
云
(
い
)
ふ
水主
(
かこ
)
でね、十九の
年
(
とし
)
、……七
年
(
ねん
)
前
(
まへ
)
、
福岡藩
(
ふくをかはん
)
の
米
(
こめ
)
を
積
(
つ
)
んだ、千六百
石
(
こく
)
の
大船
(
たいせん
)
に、
乘組
(
のりくみ
)
の
人數
(
にんず
)
、
船頭
(
せんどう
)
とも二十
人
(
にん
)
、
寶暦
(
はうれき
)
午
(
うま
)
の
年
(
とし
)
十
月
(
ぐわつ
)
六日
(
むいか
)
に
印度更紗
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
大船
(
たいせん
)
の帆は見えても
畑の祭
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
“大船”の解説
大船(おおふな)は、神奈川県鎌倉市の町丁、および広域地名である。
行政地名としては大船駅東側の大船一~六丁目および大字大船があるが、旧大船町域をはじめ、より広い範囲を大船と呼ぶこともある。
なお、大船駅構内は横浜市栄区にもまたがるが、同駅周辺で横浜市に含まれる地域については、「大船駅」または該当する地名の項目を参照のこと。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
船
常用漢字
小2
部首:⾈
11画
“大船”で始まる語句
大船渡
大船津
大船渠