かつて)” の例文
第二に治修はるなが三右衛門さんえもんへ、ふだんから特に目をかけている。かつて乱心者らんしんものを取り抑えた際に、三右衛門ほか一人ひとりさむらい二人ふたりとも額に傷を受けた。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
(二百四五十帋の自筆なり)かつて梱外こんぐわいいださゞりしを、狂哥堂真顔翁珎書ちんしよなれば懇望こんまうしてかの家より借りたる時亡兄ばうけいとともによみしことありき。
順天時報じゅんてんじほう」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来いまかつて見ないところであり、「五歩の外に正陽門せいようもんを仰ぐも、すでに門楼もんろうを見るべからず」
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
(二百四五十帋の自筆なり)かつて梱外こんぐわいいださゞりしを、狂哥堂真顔翁珎書ちんしよなれば懇望こんまうしてかの家より借りたる時亡兄ばうけいとともによみしことありき。
彼の僕等に対するや、いまかつて「ます」と言ふ語尾を使はず、「そら、そこを厚くてるんだ」などと命令することしばしばなり。
病牀雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
蜀山先生かつて謂予よにいつていはくおよそ文墨ぶんぼくをもつて世に遊ぶもの画は論せず、死後しごにいたり一字一百銭にあてらるゝ身とならば文雅ぶんがの幸福たるべしといはれき。此先生は今其幸福あり、一字一百銭にあてらるゝ事嗟乎あゝかたいかな。
動物愛護会も未だかつて猛獣毒蛇を愛護するほど寛大ではないのはこの為であらう。が、それは人生に於ける、言はば Home Rule の問題である。
蜀山先生かつて謂予よにいつていはくおよそ文墨ぶんぼくをもつて世に遊ぶもの画は論せず、死後しごにいたり一字一百銭にあてらるゝ身とならば文雅ぶんがの幸福たるべしといはれき。此先生は今其幸福あり、一字一百銭にあてらるゝ事嗟乎あゝかたいかな。
挙人徐巨源じよきよげんと言ふものあり。かつて之を非笑す。一日太虚の病を訪ふ。太虚自ら言ふ、「病んでまさたざらんとす」と。巨源曰、「公の寿正に長し。必ず死せじ」と。
八宝飯 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
師門の授受の如きに至りては、膠固かうもとより已に深し。既に自ら是として人非とし、また見ることまれにして怪しむこと多ければ、之を非とせんと欲するも未だかつて縄尺じようしやくそむかず。
文芸鑑賞講座 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ゾラはかつて文体を学ぶに、ヴオルテエルのかんむねとせずして、ルツソオのくわむねとせしを歎き、彼自身の小説が早晩古くなるべきを予言したる事ある由、善くおのれを知れりと云ふべし。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
最初のペエジにある所蔵印を見ると、かつて石川一口いしかはいつこうの蔵書だつたらしい。序文に
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
唯如何に懐疑主義者ならんと欲するも、詩の前には未だかつて懐疑主義者たる能はざりしことを自白す。同時に又詩の前にも常に懐疑主義者たらんと努めしことを自白す。 (大正十五・五・四)
小説作法十則 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
又格別知らんとも思はず。たまに短尺たんじやくなど送つて句を書けと云ふ人あれど、短尺だけ恬然てんぜんととりつ離しにしていまかつて書いたことなし。この俳壇の門外漢たることだけは今後も永久に変らざらん
わが俳諧修業 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しゅう」の意に従えば、「家」があやうい。「家」を立てようとすれば、「主」の意にもとる事になる。かつては、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
益軒はかつて乗合船の中に一人の書生と一しよになつた。書生は才力に誇つてゐたと見え、滔々たうたうと古今の学芸を論じた。が、益軒は一言も加へず、静かに傾聴するばかりだつた。その内に船は岸に泊した。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)