-
トップ
>
-
先代
>
-
せんだい
戰爭劇も澤山あつたが、私は明治座でやつた、
先代左團次と
秀調の夫婦別れを思出す。これは
際物ではあつても、チヤンとしたものだと思つてゐる。
旦暮御折檻遊ばし日夜おん
涙の
乾く間もなく誠に/\
御愍然存じ上參らせ候
夫に付御
先代よりの御用人
衆と御
相談申上去る十二月廿二日の夜御二方樣を
今は
亡せたる
傘屋の
先代に
太つ
腹のお
松とて
一代に
身上をあげたる、
女相撲のやうな
老婆樣ありき、
六年前の
冬の
事寺參りの
歸りに
角兵衞の
子供を
拾ふて
來て
尤もいま
神樂坂上の
割烹(
魚徳)の
先代が(
威張り)と
呼ばれて、「おう、うめえ
魚を
食はねえか」と、
醉ぱらつて
居るから
盤臺は
何處かへ
忘れて、
天秤棒ばかりを
振りまはして
歩行いた
頃で。……
相勤候處夫より
段々取立られ用人に相成候後
先代よりの
古老たる山口惣右衞門に
永の
暇を申付られ候然れどもいまだ先代よりの
用人佐十郎郷右衞門と申者御座候を
其方儀
先代嘉川平助に
恩も有之り候由にて藤五郎藤三郎
建部郷右衞門
伴佐十郎右四人
匿ひ候
段深切の
致方に候
得共身分不
相應なる儀に
付以後法外之なき樣心掛べし