下田しもだ)” の例文
「ああ、下田しもだのおばさんの家だったネ」波二と呼ばれた少年は、鳥渡ちょっと顔を赤くした。「こっちから見ると、電灯の影で判らなかった」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そのため安政あんせい三(一八五六)ねんに、ハリスがアメリカの総領事そうりょうじとして、伊豆いず下田しもだ静岡県しずおかけん)へやってきて、幕府ばくふとこうしょうしました。
ところがこれから僅二里あまり離れて、下田しもだの町の後には、下田富士という小山があって、それは駿河の富士の妹神だといっております。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
過ぐる嘉永かえい六年の夏に、東海道浦賀の宿、久里くりはまの沖合いにあらわれたもの——その黒船の形を変えたものは、下田しもだへも着き、横浜へも着き
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
沼津の在に強盗傷人の悪者があって、その後久しく伊豆の下田しもだに潜伏していたが、ある時なにかの動機から翻然悔悟ほんぜんかいごした。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
声 下田しもだ監視哨報告。三十機以上より成る敵の爆撃機編隊はその先頭を以て、只今、大島おほしま南端上空を北進中。高度三千。
たまさかに鶸茶の刈田、小豆いろ、温かきいろ、うち湿しめる珈琲のつち下田しもだにはいくつ稲村白金プラチナの笠めきなごめ、上畑は緑の縞目、わづかにも麦ぞ萠えたる。
観相の秋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
伊豆いず半島の修善寺しゅぜんじ温泉から四キロほど南、下田しもだ街道にそった山の中に、谷口村たにぐちむらというごくさびしい村があります。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
特に当番長の下田しもだといふ少年は、自分が優等生だけに、ひどくあわてました。こんな騒ぎを先生にでも見つかつたら、どんなにしかられるだらうと思つたからです。
掃除当番 (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
その来宮様のいた処は、今の静岡県しずおかけん加茂郡かもごおり下河津村しもかわづむら谷津やづであった。某年あるとしの十二月二十日ごろ、私は伊豆いず下田しもだへ遊びに往ったついでに、その谷津へ往ったことがあった。
火傷した神様 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
米艦が浦賀うらがったのは、二年ぜんの嘉永六年六月三日である。翌安政元年には正月にふねが再び浦賀に来て、六月に下田しもだを去るまで、江戸の騒擾そうじょうは名状すべからざるものがあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十七という年齢としは、才女に、なにか不思議なつながりを持つのか、中島湘煙しょうえん女史(自由党の箱入娘とよばれた岸田俊子としこ)も、十七歳のとき宮中へ召され、下田しもだ歌子女史も、まだ平尾鉐子せきこといった時分
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
すでに下田しもだの港は開かれたとのうわさも伝わり、交易を非とする諸藩の抗議には幕府の老中もただただ手をこまねいているとのうわさすらある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
下田しもだにはいくつ稲村白金プラチナの笠めきなごめ、上畑かみばたは緑の縞目、わづかにも麦ぞ萠えたる。その畑に動く群禽むらどり、つくづくと尾羽根振りては、また空へ飛び立ちかける。
オランダ・ロシア・イギリス・フランスの四かこくとも条約じょうやくをむすび、すでに日米和親条約にちべいわしんじょうやく開港かいこうされていた下田しもだ箱館はこだて函館はこだて)にくわえて、ちかいしょうらい
そして航海中暴風にって、下田しもだ淹留えんりゅうし、十二月十六日にようよう家に帰った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
下田しもだ以来の最初の書記として米国公使館に在勤していたヒュウスケンなぞもその犠牲者の一人ひとりだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かみの田ゆ下田しもだへ落つる水ののおのおのよろしぬるみたらしも
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
その国のおきてを無視して、故意にもそれを破ろうとするものがまっしぐらにあの江戸湾を望んで直進して来た。当時幕府が船改めの番所は下田しもだの港から浦賀の方に移してある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)