“日米和親条約”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
にちべいわしんじょうやく | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“日米和親条約”の解説
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく、英:Japan–US Treaty of Peace and Amity)は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約。神奈川条約(かながわじょうやく、英:Convention of Kanagawa)とも呼ぶ 。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。
この条約では「通商(貿易)は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、200年あまり続いた鎖国は終わり日本は開国した。なお、日米間の通商(貿易)開始は、4年後に締結された日米修好通商条約からとなる。
(出典:Wikipedia)
この条約では「通商(貿易)は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、200年あまり続いた鎖国は終わり日本は開国した。なお、日米間の通商(貿易)開始は、4年後に締結された日米修好通商条約からとなる。
(出典:Wikipedia)