“みつまた”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ミツマタ
語句割合
三叉49.1%
三椏15.1%
三股11.3%
三俣7.5%
三岐3.8%
三又3.8%
三杈3.8%
三派1.9%
三叉路1.9%
1.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
神将は手に三叉みつまたほこを持つてゐましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼をいからせて叱りつけるのを聞けば
杜子春 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あの、強靭な紙になる三椏みつまたは前から使用禁止である。かてに使う桑皮にしても、工業組合からの配給になった和紙屑洋紙屑にしても、やはりその通りであった。
和紙 (新字新仮名) / 東野辺薫(著)
文子は綱宗が高尾を身受して舟に載せて出て、三股みつまたで斬つたと云ふ俗説を反駁はんぱくするつもりで、高尾が仙台へ連れて行かれて、子孫を彼地かのちに残したと書いたのだが、それは誤を以て誤に代へたのである。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
たふげうちこし四里山径やまみち隆崛りうくつして数武すぶ平坦へいたんの路をふま浅貝あさかひといふえき宿やどなほ二居嶺ふたゐたふげ(二リ半)をこえ三俣みつまたといふ山駅さんえきに宿し、芝原嶺しばはらたふげを下り湯沢ゆさはいたらんとするみちにてはるか一楹いちえい茶店さてんを見る。
実は、この段、ささやき合って、ちょうどそこが三岐みつまたの、一方は裏山へ上る山岨やまそばの落葉のこみち。一方は崖を下る石ころ坂の急なやつ。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
日高郡三又みつまた大字は、紀伊国で三つの極寒村の第一たり。十人と集まりて顔見合わすことなしという。ここに日本にただ三つしかなきという星の神社あり。古え明星この社頭の大杉にくだりしを祭る。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
三杈みつまたの花咲き湿しめる、山の井よ、下井の水もしたたるらしき。
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
この三派みつまた片岸かたぎし、濱町——大川の浦には、五六十年後の寶暦十年には、國學者縣居あがたゐおきな賀茂眞淵かものまぶちが居た。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
と賞してゐるが、傾城高尾が舟中で仙臺樣になぶり斬りにされたつるし斬りの傳説もこの三派みつまただ。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
私が前へ便所はばかりへ往くようにして出て往って、彼処あすこ三叉路みつまたの処で待っておる、お前も後から便所へ行くと云って出て来て、三叉路の処へお出で
白い花赤い茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
対岸に幾棟かのわら屋根が見える。そこは上湯島だという。長い釣橋が一直線に見える。みつまたや山桐や桑や、人の植えた木が道に沿うてチラホラ見える。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)