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ふくをか
其頃は
東京の
家を
疊むとき、
懷にして
出た
金は、
殆んど
使ひ
果たしてゐた。
彼の
福岡生活は
前後二
年を
通じて、
中々の
苦鬪であつた。
尚明治より
前の
歌人として、
忘れることの
出來ないのは、
福岡の
人、
大隈言道であります。この
人も
曙覽のように
輕く
明るくあまり
考へないで、
自由に
歌を
作つたらしい
人であります。
宗助が
福岡から
東京へ
移れる
樣になつたのは、
全く
此杉原の
御蔭である。
杉原から
手紙が
來て、
愈事が
極つたとき、
宗助は
箸を
置いて
御米は
廣島と
福岡と
東京に
殘る
一つ
宛の
記憶の
底に、
動かしがたい
運命の
嚴かな
支配を
認めて、
其嚴かな
支配の
下に
立つ、
幾月日の
自分を