真向まむき)” の例文
旧字:眞向
悄然しょうぜんとして項垂うなだれていた小野さんは、この時居ずまいをただした。顔を上げて宗近君を真向まむきに見る。ひとみは例になく確乎しっかと坐っていた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「百夜はおろか、二百夜、千夜、出離の御功力みくりきをたまわるまでは、振り向いてはならぬ。まだ真向まむきにこの御扉みとびらのうちへこそ向え」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はつひに堪へかねたる気色けしきにて障子を推啓おしあくれば、すずしき空に懸れる片割月かたわれづき真向まむきに彼のおもてに照りて、彼の愁ふるまなこは又したたかにその光を望めり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
らふ白粉おしろいした、ほとんいろのないかほ真向まむきに、ぱつちりとした二重瞼ふたへまぶた黒目勝くろめがちなのを一杯いつぱいみひらいて、またゝきもしないまで。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「ああ、それは私の為事しごとの一つでしたわねえ。貴方に吩付いひつけられた。」女は居住まひを直して男の真向まむきになつた。
計画 (新字旧仮名) / 平出修(著)
石田は花壇の前に棒のように立って、しゃべる女の方へ真向まむきに向いて、黙って聞いている。顔にはおりおり微笑の影が、風の無い日に木葉このはが揺らぐように動く外には、何の表情もない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
「ええ、あれはあのままですと、どうもこちらの三枝さいぐささんのお家へあまり真向まむきになるので……」不二男さんはいかにも何んでもなさそうに説明した。「ちょっと斜めに道をつけてみましたが……」
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
庭を向いた眼は、ちらりと真向まむきに返る。金縁の眼鏡めがねと薄黒い口髭くちひげがすぐひとみうつる。相手は依然として過去の人ではない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
爾時そのとき、これから参ろうとする、前途ゆくての石段の真下の処へ、ほとんど路の幅一杯に、両側から押被おっかぶさった雑樹ぞうきの中から、真向まむきにぬっと、おおきな馬の顔がむくむくといて出た。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私よりせいの高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
き余るびんうずたかい中に、端然として真向まむきの、またたきもしない鋭い顔は、まさしく薬屋の主婦あるじである。
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
先刻さっきから気をつけるともなしにこの様子に気をつけていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合った時、ぴたりと真向まむきになって互に顔を見合せた。小林は心持前へ乗り出した。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女の容貌ようぼうは始めから大したものではなかった。真向まむきに見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々はればれしい心持のするひとみっていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
くわえた巻煙草に火を移して顔を真向まむきに起した時、稲妻はすでに消えていた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
オイッケンは精神生活と云う事を真向まむきに主張する学者である。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)