畠山はたけやま)” の例文
天文十八年、法師丸が十三歳の秋、牡鹿山の城が管領畠山はたけやま氏の家人けにん薬師寺弾正政高やくしじだんじょうまさたかの兵に囲まれ、籠城ろうじょうは九月から十月にわたった。
しまいには畠山はたけやま城址しろあとからあけびと云うものを取って来てへいはさんだ。それは色のめた茄子なすの色をしていた。そうしてその一つを鳥がつついて空洞うつろにしていた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これに味方しました三浦大介の子ども三百余騎は、平家の側に立った畠山はたけやま勢五百余騎と由井ゆい小坪こつぼの浦で激戦を交えましたが、畠山勢が敗れ武蔵国へ退却しました。
そのかた生前せいぜんわたくしたいへんになかかったお友達ともだち一人ひとりで、名前なまえ敦子あつこ……あの敦盛あつもりあつというくのでございます。生家せいか畠山はたけやまって、たいそう由緒ゆいしょある家柄いえがらでございます。
陰々いん/\たるみぎはこそ御占場おうらなひばしようするので——(小船こぶねとほるさうである)——画工ゑかきさんと英雄えいゆうとは、そこへ——おのおの……畠山はたけやまうまではない、……しゝいだき、鹿しかをかつぐがごと大荷おほにのまゝ
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
これが畠山はたけやま殿の御相続争いと一つになって、この応仁の乱れの口火となりましたのを思えば、その陰にしいたげられて、うしろ暗い企らみ事のただのお道具に使われておいでの松王様のお身の上は
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
源氏重代の家来たち、和田・三浦・畠山はたけやま比企ひき朝比奈あさひな宇都宮うつのみやなどの諸豪族は北条氏に対する反感を深くしているのに乗じ、種々策謀して、次々に叛旗をひるがえさせては次第にこれを滅して行った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
これが畠山はたけやま殿の御相続争ひと一つになつて、この応仁の乱れの口火となりましたのを思へば、その陰にしひたげられて、うしろ暗い企らみ事のただのお道具に使はれておいでの松王様のお身の上は
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)