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浜松
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はままつ
ふりがな文庫
“
浜松
(
はままつ
)” の例文
旧字:
濱松
わたくしは
遠江
(
とおとうみ
)
浜松
(
はままつ
)
にご
在城
(
ざいじょう
)
の、
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
さまのおん
内
(
うち
)
でお
小姓
(
こしょう
)
とんぼ
組
(
ぐみ
)
のひとり、
万千代
(
まんちよ
)
づきの
星川余一
(
ほしかわよいち
)
というものでござります
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「今しがた
二俣
(
ふたまた
)
城へまいった物見(
斥候
(
せっこう
)
)がかえり、二俣もついに落城、
甲州
(
こうしゅう
)
勢はいっきにこの
浜松
(
はままつ
)
へおし寄せまいるとのことでござります」
死処
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
あれは
天正
(
てんしょう
)
十一年に
浜松
(
はままつ
)
を
逐電
(
ちくてん
)
した時二十三
歳
(
さい
)
であったから、今年は四十七になっておる。太い
奴
(
やつ
)
、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは
佐橋甚五郎
(
さはしじんごろう
)
じゃぞ
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
そうして東京、
横浜
(
よこはま
)
、
沼津
(
ぬまづ
)
、
静岡
(
しずおか
)
、
浜松
(
はままつ
)
、
名古屋
(
なごや
)
、
大阪
(
おおさか
)
、
神戸
(
こうべ
)
、
岡山
(
おかやま
)
、
広島
(
ひろしま
)
から
福岡
(
ふくおか
)
へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。
時事雑感
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
次に
静岡
(
しずおか
)
、次に
浜松
(
はままつ
)
、それからさらに
大阪
(
おおさか
)
、
神戸
(
こうべ
)
、
京都
(
きょうと
)
、
金沢
(
かなざわ
)
、
長野
(
ながの
)
とまわって、
最後
(
さいご
)
に
甲府市
(
こうふし
)
へ来たときは、秋も
過
(
す
)
ぎ、冬も
越
(
こ
)
し、春も通りぬけて、ふたたび夏が来ていました。
曲馬団の「トッテンカン」
(新字新仮名)
/
下村千秋
(著)
▼ もっと見る
いざ
子
(
こ
)
どもはやく
日本
(
やまと
)
へ
大伴
(
おほとも
)
の
御津
(
みつ
)
の
浜松
(
はままつ
)
待
(
ま
)
ち
恋
(
こ
)
ひぬらむ 〔巻一・六三〕 山上憶良
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
静岡県
浜松
(
はままつ
)
市
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「あの、近ごろ
浜松
(
はままつ
)
のご
城下
(
じょうか
)
で、
武田伊那丸
(
たけだいなまる
)
という
方
(
かた
)
が
徳川
(
とくがわ
)
さまの手でつかまったそうですが、それは、ほんとでございますか」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
磐代
(
いはしろ
)
の
浜松
(
はままつ
)
が
枝
(
え
)
を
引
(
ひ
)
き
結
(
むす
)
び
真幸
(
ささき
)
くあらば
亦
(
また
)
かへり
見
(
み
)
む 〔巻二・一四一〕 有間皇子
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
ああまだ
東海道
(
とうかいどう
)
へはへだてがある。なお
浜松
(
はままつ
)
や
三方
(
みかた
)
ヶ
原
(
はら
)
には
間
(
ま
)
がある。
覚悟
(
かくご
)
のとおり、あの三騎は、とちゅうで
血
(
ち
)
を
吐
(
は
)
いてしまいはせぬだろうか。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
徳川家康は、ことし三十四歳、その後は、
浜松
(
はままつ
)
の城にいた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“浜松”の解説
浜松(はままつ、濱松󠄁)は、天竜川の西、浜名湖の東に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。もともと浜津に由来し、中世には浜松と呼ばれるようになった。
この地域以外にも東京都港区をはじめ、日本各地に浜松という地名や人名が存在する(後述)。
(出典:Wikipedia)
浜
常用漢字
中学
部首:⽔
10画
松
常用漢字
小4
部首:⽊
8画
“浜松”で始まる語句
浜松城
浜松之枝乃
浜松足軽組