法然ほうねん)” の例文
単にその宗門においての第一の学者というだけではありません、あの時代のあらゆる方面において、法然ほうねんは第一等の学者でありました。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
遠いむかしの、熊谷蓮生坊の発心ほっしんと、その生涯も、きわめて自然に考えられる。だが彼には、心のあてとする法然ほうねんの門はなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都の御影堂本家の主人は、店に、本尊法然ほうねんの像をまつって、時宗だったから、僧形で妻帯していたが、円頂で扇をつくって京の名物男だった。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
狐の顔が明先あかりさきにスッと来てちかづくと、その背後うしろへ、真黒まっくろな格子が出て、下の石段にうずくまった法然ほうねんあたまは与五郎である。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
(間)私はもう幾人いくたり愛する人に死なれたか知れない。慈悲深い法然ほうねん様や貞淑な玉日や、かいがいしいお兼さんや——
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
思うに法然ほうねん上人は我が国体の認識を深くして仏教のなかにこの国体の認識を織り込んで置かれたからである。この意味で浄土教こそ最も日本的な宗教と言い得る。
現代と浄土宗 (新字新仮名) / 佐藤春夫(著)
先生の頭蓋ずがいの形の特異さが殊に彫刻的に面白かった。所謂いわゆる法然ほうねんあたまである。この頃から私もだんだん彫刻性についての自分自身の会得に或る信念を持つようになった。
自作肖像漫談 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
法然ほうねん上人は念仏についていったではないか、「ひじりで申されずば、在家にて申すべし」云々、また「悪人は悪人ながらに」とも述べた。もとより自らの力で往生おうじょうが出来るのではない。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
衆生しゅじょうのためには、わが身もない、病気もいとわぬと、こういう意気の法然ほうねん様じゃによって、押して、お出ましになるのじゃろう」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なあに、それほどの創見でもなんでもないのだが、日蓮を知る者は、どうしても法然ほうねんを知らなければならない、というの一事を見出しました」
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
親鸞 九つの時に初めて登山して、二十九の時に法然ほうねん様に会うまではたいていあの山で修行したのです。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
綽空しゃっくうか。あいつのことも、思い出さねえではないが、今では、法然ほうねん上人の門にかくれているんではどうにもならねえのだ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然ほうねん様がある時むろ宿しゅくにお泊まりあそばしたとき、一人の遊女が道をたずねて来たことがある。そのとき法然様はどんなにねんごろに法を説き聞かせなすったろう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
法然ほうねん親鸞しんらん、日蓮といったように、法燈赫々ほうとうかくかく旗鼓堂々きこどうどうたる大流でなく、草莽そうもうかん、田夫野人の中、或いはささやかなるいなかの神社の片隅などから生れて、誤解と、迫害との間に
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「や? ……叡山えいざんにいた範宴だ、法然ほうねんのところにかくれて、綽空と名をかえたと聞いたが、こんなとこに住んでいたのか」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然ほうねん上人も、この世を渡るには念仏申さるるように生きよと仰せられた。念仏者のイデオロギーは念仏がとなえられるように生きて行くということである。そのきめ方は色々あるであろう。
念仏と生活 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
青丹あおによし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然ほうねん親鸞しんらんとを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司ちょうでんすをも知らなかった十九世紀の英吉利イギリス生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
後々の語り草にもなったように、熊谷はその場でもとどりを切って逐電ちくてんし、法然ほうねん上人の許で、名も蓮生坊れんしょうぼうとかえ、生涯、弓矢を捨ててしまったのだ。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこに、入間いるまへ落ちる渓流を前にし、青い峯をうしろにして、広やかな芝生の荘園を抱き、法然ほうねん作りの門構え、古風にして雅致ある南画のような邸宅がある。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「都の黒谷くろだにには、法然ほうねん上人などがいます。近頃、法然房の念仏の声は、しんしんと田舎にまで聞えてきた」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然ほうねんの弟子親鸞しんらんも、同じなやみを持っていた。古来、事を成す人間ほど、生きる力の強い人間ほど、同時に、この生れながら負って来る苦しみも強くそして大きい。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
環境的にはそこはかとなく法然ほうねんや親鸞の影向ようごうを自然に少年から受けていたとおもっています。
親鸞の水脈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔子だの、釈迦しゃかだの、法然ほうねんだの、どいつもみんな、鹿爪らしい嘘ッ八の問屋じゃねえか。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠くは、木曾殿の幕下、太夫房覚明かくみょうと申し、その人を家祖といい伝えております。なれども、覚明は木曾殿の滅亡後、出家して、法然ほうねん上人のしつに参じておりますゆえ、その一族やも知れませぬ。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
教義となると、空也念仏くうやねんぶつの脈をひき、法然ほうねん門下の浄土宗の流れもじえ、一遍上人いっぺんしょうにんの発想をもととして、なかなかむずかしそうであるが、法友同士の約束は、かんたんでまた、しごく自由であった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼がそのように忌み嫌った腐敗堕落だらくの末法の世界のほかに、真実の仏教を、草間がくれの清流のように、年来、黒谷くろだにの吉水禅房でさけんでいる法然ほうねんという僧なども在ることは、入道も知らなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然ほうねんさんは見えぬ
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)