大膳だいぜん)” の例文
熱田あつた加藤図書かとうずしょ、愛知郡の飯尾隠岐守いいおおきのかみ、岐阜城の物頭ものがしら早川大膳だいぜん篠田右近しのだうこん春日井かすがい郡から馳せ加わった下方左近将監しもかたさこんのしょうげん——などがある。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひそめあの御方の儀に付ては一朝一夕いつてういつせきのべがたしまづ斯樣々々かやう/\の御身分の御方なりとてつひに天一坊と赤川大膳だいぜんに引合せすなはち御墨付すみつきと御短刀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この上は大膳だいぜん父子をはじめ長防二州の処置を適当に裁決あることと心得ていたところ、またまた将軍の進発と聞いては天下の人心は愕然がくぜんたるのほかはないというにある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昔伊勢の国で冬咲の桜を見て夢庵むあんが、冬咲くは神代も聞かぬ桜かな、と作ったのは、伊勢であったればこそで、かように本歌を取るが本意である、毛利大膳だいぜん神主かんぬしではあるまいし
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
京都妙心寺出身の大淵和尚たいえんおしょうの弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳だいぜんの養子になっている。女子は二人ある。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
(松平大膳だいぜん大夫だゆうの家来杉百合之助次男にて厄介致し置き候浪人) 吉田寅次郎
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
と、越前守を送り出して、赤川大膳だいぜんと、部屋へ入ってくると、天一坊は、しとねの上へ立ったまま、感嘆的に、だが、低い声をかけた。山内伊賀亮やまのうちいがのすけは、伏目のまま、黙って自分の座へ坐った。
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
伝える者は山脇大膳だいぜんという人の門人二三人しかないということが解ったんだ
この城廓の大膳だいぜん大夫だいぶであり、大炊頭おおいのかみを以て自ら任じているらしいのです。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自分があの小宮廷と仲たがいをしたこと、昔は官邸の大膳だいぜん局や厨房ちゅうぼうに信用を得ているとの自惚うぬぼれがあったにしろ——(それをも実は疑っていた)——その信用も今では没落してしまってること
足軽頭の木村大膳だいぜんは、そのかたわらににがりきっていた。虎之助はちらとその人を見て、また主人のくちもとへ眼をかえした。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄門光圀卿くわうもんみつくにきやう明察めいさつ見露みあらはし玉ひお手討に相成あひなりける然るに紋太夫に一人のせがれあり名を大膳だいぜんと呼べり親紋太夫の氣を受繼うけつぎてや生得しやうとく不敵ふてき曲者くせものなれば一家中に是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
と、下方左近将監しょうげん、加藤図書ずしょ、早川大膳だいぜんなど無慮むりょ七、八千の兵力をその方へいて、愈〻、本格的な伊勢攻略を開始した。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
立出で行列ぎやうれつ以前よりも華美くわびよそほひて藤井左京赤川大膳だいぜん供頭ともがしらとなりて來る程に途中とちうの横町々々は大戸を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
一族には大膳だいぜん大夫たいふ広秀、左近将監高広さこんしょうげんたかひろなどもあり、準北条氏の家格からもまず屈指くっしな重臣といってよい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大工棟梁とうりょうの広瀬大膳だいぜんと、その部下の者が、血まみれになった一人の男を抱え、ばらばらと駈けてきて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その証拠には、何をやっても、組頭の木村大膳だいぜんは、知らん顔して、彼を重用しているのでもわかる。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大工棟梁とうりょうの広瀬大膳だいぜんは、自分の不取締りを恥じ入るように、平伏して
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、長浜の城で木村大膳だいぜんの手に属し、主人秀吉から初めて三百七十石の禄をもらったとき、虎之助はそのうち百石をいて、山城八幡村から一名の浪人をよんで抱えた。それが飯田覚兵衛だった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤木権之助と広瀬大膳だいぜんの二人であった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)