嗣子しし)” の例文
それは豊橋市の素封家の嗣子ししで、その地方の銀行の重役をしている男で、義兄の勤める銀行がその銀行の親銀行になっている関係から
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子ししとしては不都合と思う。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
故新左衛門の養嗣子しし采女うねめは、まだ柴田外記げきに預けられて登米とめ郡にいた。そして明くる年の七月に、そこで病死したのだ、と甲斐は思った。
やはり他家の嗣子ししってあるということは、親ごころの当然として、たえずどこかで、どう育っているやらと、案じられていたものにちがいない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容姿艶麗そのいまだ嫁せざるや近鄰称するに四谷小町よつやこまちの名を以てしたりしといふ。某男某女あり。嗣子しし名は大。家を継ぎしが本年の春病んで歿したりしと。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そうして嗣子ししの信世さんのところへも御無沙汰をしていたことを、この機会にお詫びをしなければならない。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お前が唐沢の家の嗣子ししでなければ、どんな事でも好き勝手にするがいゝ。が、わしの子であり、唐沢の家の嗣子である以上、お前の好き勝手にはならないのだ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「はあ。それでは渋江保という人が、抽斎の嗣子ししであったのですか。今保さんは何処どこに住んでいますか。」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし、わが子を佐藤家の嗣子ししとして贈るとすれば、直接その子を育てる者は佐藤の嫁さんである。その、嫁さんの人柄によって子が幸福にも、不幸にもなるものだ。
盗難 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子ししなく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、しきりに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
天一坊を嗣子ししとすることの人心への影響は、越前とても十分に心得ておりまするが、それがし、奉行として、法を守る限り、飽くまで、法に従って、庶民が安心して、法によるように致したいと存じまする
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
美濃みの十郎は、伯爵はくしゃく美濃英樹の嗣子ししである。二十八歳である。
古典風 (新字新仮名) / 太宰治(著)
披露ひろうは帝国ホテルで行うこと、御牧側では、子爵ししゃくは老体のことであるから、嗣子ししの正広夫妻が代理を勤めるであろうこと、等々の話をした。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
詔書の文は魏王曹操の大功をしょうし、嗣子しし曹丕そうひに対して、父の王位をぐことを命ぜられたもので——建安二十五年春二月みことのりすと明らかにむすんである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの本姓は戸田氏である、近江おうみのくに膳所ぜぜ藩の老臣戸田五左衛門の五男に生れ、三十歳のとき園城寺おんじょうじ家の有司ゆうし池田都維那の家に養嗣子ししとしてはいった。
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あの男はその家の嗣子ししなのであるから、雪子ちゃんとしても不足を云うところはない筈であるとか、現在の蒔岡家としては勿体もったいなさ過ぎる縁であるとか
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
第一は主家の改易であった、その年、つまり寛永かんえい四年正月、下野守忠郷しもつけのかみたださとが二十五歳で病歿びょうぼつすると、嗣子ししの無いことが原因で会津六十万石は取潰とりつぶしとなった。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
(自分もやがて五十にもなるが、いまだに嗣子ししがない。もし、御次男を、ひとり娘の婿にもらえるなら、時を見て、自分は隠居し、跡目あとめを若いふたりに任せたい)
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、甲斐は手記を繰り、同じ年の七月二十八日、一ノ関の嗣子しし東市正いちのかみ宗興の婚礼の項を見た。
三河では、松平清康まつだいらきよやすが、今川家へ降って、その与国よこくに甘んじてしまって以来、不幸つづきで、清康の死後、子の広忠ひろただも早逝し、嗣子ししの竹千代は、人質ひとじちとして今、駿府に養われている有様だった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて佐助は晩年に及び嗣子しし妻妾さいしょうもなく門弟達に看護されつつ明治四十年十月十四日光誉春琴恵照禅定尼の祥月命日しょうつきめいにちに八十三歳と云う高齢こうれいで死んだ察する所二十一年も孤独で生きていた間に在りし日の春琴とは全く違った春琴を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
太守の弾正大弼憲綱だんじょうたいひつのりつなは、二歳の時、吉良家から養子にもらわれて、上杉家の嗣子ししに坐ったのであって、上野介は実父にあたる人でもあるし、母の富子の方も、同族の上杉播磨守はりまのかみから出ているので
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)