“ようしょう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
要衝55.6%
葉鞘11.1%
幼少5.6%
蓉裳5.6%
厭勝5.6%
妖鐘5.6%
楊松5.6%
葉章5.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
幕府の当途者及び要衝ようしょうに立つ能吏のうりは、彼が一方においては尊攘党の望を負い、他方においては英才賢明なるの為人ひととなりを聞き、彼に思を属したり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
くきは直立し少数の茎葉けいよう互生ごせいし、初夏しょかこういただき派手はでやかな大花たいかが咲く。葉は直立せる剣状けんじょう白緑色はくりょくしょくていし、基部きぶ葉鞘ようしょうをもって左右に相抱あいいだき、葉面ようめんの中央には隆起りゅうきせる葉脈ようみゃくあらわれている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
幼少ようしょうのとき、鞍馬くらま僧正谷そうじょうがたに果心居士かしんこじから教えられた幻術げんじゅつ。おそらく、あのくらいのことなら、弟弟子おとうとでし竹童ちくどうにもできるであろう」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「や、これはかたじけないが、じぶんは見らるるとおり僧形そうぎょうの身、幼少ようしょうから酒のあじを知ったことがない、兄貴あにき、かわってくれ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叔は通称五郎、名は光恭、字は子礼、蓉裳ようしょうと号す。この年にはわずかに三歳である。鷲津氏の家にはこの他に益斎の弟又三郎というものがいた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鷲津光恭、通称五郎、字は子礼、蓉裳ようしょうと号す。天保四年八月一日に生れたので、安政五年には二十六歳である。蓉裳は江戸にあって昌平黌に入り、また藤森弘庵の彀塾こうじゅくに学んだのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これも大黒に縁ある甲子の祭りにその使い物の鼠を愛しあそぶようだが、本は鼠が大黒柱を始め建築諸部を損ぜぬよう、鼠を捉うるまねしてこれを厭勝ようしょうしたのであろう。
異様な妖鐘ようしょうが再びじゃんじゃん鳴りひびいた。木鹿王の白象の周りへ満腹した猛獣群が尾を振り勇んで帰ってくる。それを再び檻に入れ或いは鎖に繋ぎ、鼓角を鳴らして、王宮へ引き揚げて行った。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長興侯ちょうこうこう耿炳文こうへいぶんを大将軍とし、李堅りけん寧忠ねいちゅうえて北伐せしめ、又安陸侯あんりくこう呉傑ごけつ江陰侯こういんこう呉高ごこう都督ととく都指揮としき盛庸せいよう潘忠はんちゅう楊松ようしょう顧成こせい徐凱じょがい李文りぶん陳暉ちんき平安へいあんに命じ、諸道並び進みて
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
本妙寺にまつられてある、加藤清正公の神苑で、凱旋祝賀会があったときにも、私は白色銅葉章ようしょうと従軍徽章きしょうを胸にけた父と一緒に行った。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)