要衝ようしょう)” の例文
それに、太宰府や博多の要衝ようしょうもこうおさえたからには、これ以上、尊氏方へころぶ馬鹿もあるまい。また地理的に行けもしない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府の当途者及び要衝ようしょうに立つ能吏のうりは、彼が一方においては尊攘党の望を負い、他方においては英才賢明なるの為人ひととなりを聞き、彼に思を属したり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
自然伏見は京大阪を結ぶ要衝ようしょうとして奉行所ぶぎょうしょのほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の繁昌はんじょうはもちろん、船宿も川の東西に数十軒、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見の京橋を出るころは
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
ここは古来東からエルサレムに入る要衝ようしょうの地で、ヘロデ大王の避寒の離宮もあり、ユダヤの名邑でありました。いわば関西から東京に上る人が熱海まで来たというところ、めざす都はもうすぐだ。
さらに眼を放つと、彼方の山々、此方の峰々、或いは道の要衝ようしょうを取って、北国勢の旗は、ここと思う所に、見えぬ所はない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武田方にとって重要な南方の要衝ようしょう、駿河口の江尻えじりの城をあずけてあるその梅雪が、ここ半年以上も伺候せず、何があっても病気と称して出て来ない心配からであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この近江路の要衝ようしょうを占める愛知えち、犬上、坂田の諸郡にまたがる豪族といえば、古くから近江源氏と世に呼ばるる佐々木定綱、高綱らの末裔まつえいの門たるは、改めていうまでもない。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち、執権高時公のお目代めがわりを仰せつかって、近江の要衝ようしょうに堅陣をき、それらの不審を見まもるために西上するのだ。おてまえの御主人にも、ようそのむねを申しておくがよろしいのう……
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
場所は、野尻湖のじりこの東南で、越後信州の国境にあたり、山地ではあるが、北するも、西するも、南するもここを分岐点ぶんきてんとする交通の要衝ようしょうで、わりたけの嶮にって、越後勢のたてこもっている一じょうがある。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大津は街道の要衝ようしょうであるが、ひとりの旅人も荷駄にだもない。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)