“こうとく”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
功徳20.0%
幸徳20.0%
溝涜13.3%
高徳13.3%
光徳6.7%
厚徳6.7%
孝徳6.7%
広徳6.7%
黄犢6.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
時勢じせいしからしむるところとは申しながら、そもそも勝氏が一身を以て東西の間に奔走ほんそう周旋しゅうせんし、内外の困難こんなんあた円滑えんかつに事をまとめたるがためにして、その苦心くしん尋常じんじょうならざると、その功徳こうとくだいなるとは
堺さんの序文に幸徳こうとくさんの後を受けてゐるんだと書いてあつたのと、あの表に無政府主義とあつたのに猶驚いて、大変だと思つたんですね。仕方がありませんわ、理屈を云つたつて。
隅田川の水流は既に溝涜こうとくの汚水に等しきものとなったが、それにもかかわらず旧時代の芸術あるがために今もなお一部の人には時として幾分の興趣を催させる事である。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いぜんから高徳こうとくの聞えはあって、後醍醐に瑜伽灌頂ゆがかんちょうの法をさずけ、元弘の元年には、例の“中宮御産ごさん祈祷いのり”と称し、北条調伏ののろいを行ったかどで、硫黄島いおうじま流しとなった豪僧なのだ。
五百が書状を遣った市野屋は当時弁慶橋にあって、早くも光寿の子光徳こうとくの代になっていた。光寿は迷庵の歿後わずかに五年にして、天保三年に光徳を家督させた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
また西郷南洲さいごうなんしゅう廟堂びょうどうより薩南さつなんに引退した時の決心、また多数にようせられ新政厚徳こうとくはたぐるに至った心中は、おそらくはその周囲におった人にも分からなかったであろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
天皇孝徳こうとくもまた、中大兄の横暴をいきどおり、その位を退くと言ったこともある。中大兄にたいして、不平であったのであろう。
方孝孺堅くけいを守りて勤王きんのうの師のきたたすくるを待ち、事し急ならば、車駕しゃがしょくみゆきして、後挙を為さんことを請う。時に斉泰せいたい広徳こうとくはしり、黄子澄は蘇州そしゅうに奔り、徴兵をうながす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
。望まずして口に入れまた身に上る。かつ城に向かって黄犢こうとくを売るを免る。田家衣食厚薄なし。県門を見ず身はすなわち楽
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)