“あひづ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
合圖28.6%
会津19.0%
相圖19.0%
相図14.3%
合図9.5%
暗號4.8%
相津4.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ミラア先生は戸口の近くの腰掛に坐るやうに合圖あひづをしてから、その長い部屋の上席の方へ歩んで行つて、大きな聲で叫んだ——
縮にもちふるは、奥刕あうしう会津あひづ出羽最上ではもがみさんを用ふ。白縮はもつはら会津を用ふ。なかんづく影紵かげそといふもの極品ごくひん也、また米沢の撰紵えりそしようするも上品也。
ひるには、宜道ぎだうからはなしのあつた居士こじつた。この居士こじ茶碗ちやわんして、宜道ぎだうめしよそつてもらふとき、はゞかりさまともなんともはずに、たゞ合掌がつしやうしてれいべたり、相圖あひづをしたりした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
則重公その書をひらき見給ふに、槍垣御坊より和泉守へ差立てたる文の態にて、東西より筑摩家の領内へ攻入らんとする相図あひづの状に紛れもなし。
それを見出した合図あひづの笛はまだ鳴らない
測量船 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
それが、ことばつがへた、かね約束やくそく暗號あひづででもあつたごとく、唯吉たゞきちおもはずかほげて、姿すがたた。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
かれ大毘古おほびこの命は、先の命のまにまに、高志こしの國に罷りでましき。ここに東の方より遣しし建沼河別たけぬなかはわけ、その父大毘古おほびこと共に、相津あひづ一三に往き遇ひき。かれ其地そこ相津あひづといふ。