赤間あかま)” の例文
九州では赤間あかま、三河では岡崎、尾張の木賊とくさ、越後の三条、信州では戸狩——殊に戸狩花火は松代まつしろ藩主の真田さなだ侯が自慢なものであった。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長門ながと赤間あかまヶ関せき、播州の室津などはそれである。ことに室津は都近い船着きであったから、遊里の体裁ていさいをなすまでに繁昌したものと見えます。
赤間あかまの関で役人にとらえられすでにあやうきところをのがれ、船頭せんどうをだましてようやくこの島に着くことができました。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
因州様などになりますと、四百両ばかりの御用金のかたに赤間あかまが石のすずりを一つ下すつただけでございました。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし、それではこまるというので、みんなよって相談そうだんをして、だんうらの近くの赤間あかませき(今の下関しものせき)に安徳天皇あんとくてんのうのみささぎと平家一門へいけいちもんはかをつくりました。
壇ノ浦の鬼火 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
坐舗の一隅いちぐうを顧みると古びた机が一脚え付けてあッて、筆、ペン、楊枝ようじなどを掴挿つかみざしにした筆立一個に、歯磨はみがきはこと肩をならべた赤間あかますずりが一面載せてある。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
たけきつはものどもおほく一四六鼇魚かうぎよのはらにはぶられ、一四七赤間あかませき一四八だんの浦にせまりて、一四九幼主えうしゆ海に入らせたまへば、軍将いくさぎみたちものこりなく亡びしまで
散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司もじ赤間あかまの元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船をつなぐべきなぎさだになく、波のまに/\行衞も知らぬ梶枕かぢまくら高麗かうらい
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
明治二十六、七年ごろには、赤間あかませき消毒所というのが建ち、日清戦争の頃には、そこが傷兵の病院にもあてられた。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしは使つかいのものじゃ。わしのご主君しゅくんは、それは高貴こうきなおかたではあるが、多くの、りっぱなおともをおつれになり、いま赤間あかませきに、おとどまりになっていられる。
壇ノ浦の鬼火 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
わたしは泣く泣く俊寛様へ、姫君の御消息ごしょうそくをさし上げました。それはこの島へ渡るものには、門司もじ赤間あかませきを船出する時、やかましい詮議せんぎがあるそうですから、もとどりに隠して来た御文おふみなのです。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
志戸・八島やしまにいたって多くの武勇の士たちが魚の餌食となり、さらに赤間あかませきだんうらに追いつめられて、幼君安徳天皇が入水されたので、平家の武将たちもここにのこらずほろびてしまったが
赤間あかませきの岸を離れた彼の小舟は、時折、真っ白なしぶきをかぶった。佐助は、きょうのを、ほまれと思っていた。漕ぐ櫓にも、そうした気ぐみが見えた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのころ赤間あかませきに、法一ほういちというびわ法師ほうしがいました。この法師は生まれつきめくらでしたので、子どものときから、びわをならい、十二、三さいのころには師匠ししょうけないようになりました。
壇ノ浦の鬼火 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
また店は、堺のみでなく、長門ながと赤間あかませきにもあるし、讃岐さぬきの丸亀にも、山陽の飾磨しかまの港にも出店がある。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、その翌々日、男女ふたりは、門司もじから赤間あかまの関へ行く便船の中で、追手の者に、捕まってしまった。
夕顔の門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤間あかませきもそうである。門司ヶ関、小倉城下はもちろんのことだった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)