莫逆ばくぎゃく)” の例文
江漢老人と五百之進とは、心と心をゆるし合った莫逆ばくぎゃくの友。その子ととは、おさない頃から親の目にもわかっていた初恋の仲——。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのやうなことばかせてわしりさいなむとはむごいわい、つれないわい、それでも高僧かうそうか、司悔僧しくわいそうか、教導師けうどうしか、莫逆ばくぎゃくちかうた信友しんいうか?
「イヤ御遠慮あるな伯父ごとは莫逆ばくぎゃくの友なり、足下そっかの事は書中にて承知致したり、心置きなくまず我方に居られよ」と快濶かいかつなる詞有難く
良夜 (新字新仮名) / 饗庭篁村(著)
どうじゃ。驚いたかな。わしの名はな、子輿しよというてな、子祀しし子犁しれい子来しらいという三人の莫逆ばくぎゃくの友がありますじゃ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「それでよし、元々貴公達は、莫逆ばくぎゃくの仲ではないか、一婦人のために、刀まで抜き合うとは何んたることだ」
夫人は御承知でしょうが、シュテッヘ大尉は、フォン・エッセン閣下の莫逆ばくぎゃくの友でありまして、同じ快走艇ヨット倶楽部でも、シーワナカの支部に属しておりました。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
また後に莫逆ばくぎゃくの友となった小島成斎も、はやく市野の家で抽斎と同門のよしみを結んだことであろう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そうだ、父の莫逆ばくぎゃくの友たる本多男爵だんしゃくさえ日本におればと、瑠璃子も考えた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「僕と胡先生とは、もう莫逆ばくぎゃくの友になっております、結婚なんかしなくてもいいでしょう、それにこどもは、もう許婚いいなずけになっておりますから、どうかあなたが僕に代って、胡先生に話してください」
胡氏 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
下野国吹上藩主、斎藤出雲守信継さいとういずものかみのぶつぐは、壱岐守明敬と莫逆ばくぎゃくの友である。
粗忽評判記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かの光秀と藤孝とは、共に、信長に仕える前から莫逆ばくぎゃくの友であった。忠興の妻の珠子たまこ伽羅沙がらしゃ夫人)は、光秀のむすめであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鉄馬殿にしては、それが何より心配だ、幸い私の先代が鉄馬殿と、うたい友達、友達という以上に懇意で、莫逆ばくぎゃくおもいがあったから、その友情にすがって頼みたい——とこう乳母の口から言われるのだ。
「彼とは莫逆ばくぎゃくですから」
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
光秀と細川藤孝ほそかわふじたか、その子忠興ただおきとの関係は密接である。藤孝と光秀とは、多年、莫逆ばくぎゃくの友たるのみならず、光秀のむすめの伽羅沙がらしゃは、忠興の妻でもある。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉とは、清洲きよす時代からの莫逆ばくぎゃくの友であり、おたがいの莫迦ばかも知っていれば長所も知り合っている仲である。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生前武蔵と莫逆ばくぎゃくの友であったというこの和尚は、武蔵の死後二十七年目の正月元旦に死んだものとみえる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三成と刑部とは、莫逆ばくぎゃくの友である。——佐和山と、敦賀つるがとは離れていても、心はお互いに常に近かった。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
莫逆ばくぎゃくの友とかされて、武蔵と対照すべく、彼をも無意識に、高くしてしまったのではないかと思う。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
綿竹関の大将費観ひかんと彼とは、莫逆ばくぎゃくの友である。すなわち李厳は、この友に、玄徳の高徳を説いた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すこし感情を害したらしく、わけて無二斎とは生前莫逆ばくぎゃくともだったという内海孫兵衛丞などは
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
手に弓懸ゆがけを着け、木綿の粗服に馬乗袴うまのりばかまという姿で、一見、旗本の息子ぐらいにしか見えませんが、これは万太郎とは莫逆ばくぎゃくの友だち、紀州和歌山城の宰相頼職朝臣さいしょうよりもとあそん世嗣よつぎ、すなわち
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)