興行こうぎょう)” の例文
けれどその翌日よくじつも、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋しばいごやかこいのなわをとびこえて、興行こうぎょうなかばにかけこんで来た。
村むらを興行こうぎょうして歩くサーカス団がありました。十人そこそこの軽業師かるわざしと、年をとった黒くまと馬二とうだけの小さな団です。
正坊とクロ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
昨日きのうまで、まちにきていて、興行こうぎょうをしていたのです。それが、今日きょう、ここをげて、また、どこかへいって、興行こうぎょうをしようとするのでした。
銀河の下の町 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「左様でございます。手前どもは上町かみまちの小屋に興行こうぎょうのお免許ゆるしを願っておりました染之助一座の楽屋者に相違ございません」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
米国でサロメを始めて舞台へ出した時も、社会の民衆が二日目に興行こうぎょうを差止めた。その後、音楽だけやり、また後に元通り上場したこともあった。
国民性の問題 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ことに、松ヶ谷団長が、このまま、行方不明だったら、このミマツ曲馬団は、これから満足な興行こうぎょうができないであろう。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その上、御息女さまの、御他行ごたぎょうさきより、お招きをうけたこともござりましたが、来月興行こうぎょう稽古けいこ等にていそがわしく、おことわりいたしました。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
こんどは東京の中で、場所をかえて、長く興行こうぎょうすることになっていますので、三ヵ月いじょう同じ学校にかよえるわけです。ふたりは、たいへんよろこんでいました。
サーカスの怪人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あたりがしずかなので、戸をしめきっても、四方に余音よいんつたわる。蓄音器があると云う事を皆知って了うた。そこで正月には村の若者四十余名を招待しょうだいして、蓄音器を興行こうぎょうした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
親方はそこで、旅なかまにたのんで、あすの晩の興行こうぎょうのあがりをのこらずさしあげます。
道みちの町や村でも、日和ひよりのつごうさえよければ、ちょっとした興行こうぎょうをやって、いくらかでも収入しゅうにゅうをかき集めて、出発するようにした。
これではいよいよ、興行こうぎょうすることができなくなりました。団長もしかたなく、わかれわかれになることに話をきめました。
正坊とクロ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
西にしほうひとは、西にしみやこで、興行こうぎょうをするこうおとこをほめました。ひがしほうひとは、ひがしみやこで、興行こうぎょうをするおつをほめました。
二人の軽業師 (新字新仮名) / 小川未明(著)
運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行こうぎょう手伝てつだってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。
サーカスの一は、あるときは西にしに、あるときはひがしに、ところさだめず、興行こうぎょうをつづけてあるきました。真夏まなつそらに、たかいテントをって、あぶない芸当げいとうえんじたのです。
サーカスの少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
これも、やはり、ある村で興行こうぎょうしていたときでした。
正坊とクロ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わたしたちはいちばんはじめの村に着いて興行こうぎょうをしなければならなかった。これがルミ一座いちざはつおめみえのはずであった。
親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行こうぎょうに入りようなものを用意するように言いつけた。
そのためある音楽師おんがくしを二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行こうぎょう失敗しっぱいになるのではないかと心配していたところであった。