曼珠沙華まんじゅしゃげ)” の例文
崖のくずれを雑樹またやぶの中に、月夜の骸骨がいこつのように朽乱れた古卒堵婆ふるそとばのあちこちに、燃えつつ曼珠沙華まんじゅしゃげが咲残ったのであった。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この花は曼珠沙華まんじゅしゃげのやうに葉がなしに突然と咲く花で、花の形は百合に似たやうなのが一本に六つばかりかたまつて咲いて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
普通の幽霊草というのは曼珠沙華まんじゅしゃげのことで、墓場などの暗い湿しめっぽいところに多く咲いているので、幽霊草とか幽霊花とかいう名を付けられたのだが
水鬼 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのあたりの草いッぱい、曼珠沙華まんじゅしゃげという地獄花じごくばないたように、三ツの死骸しがいかえ斑々はんはんとあかくえている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼岸花と云う曼珠沙華まんじゅしゃげは、此辺に少ない。此あたりの彼岸花は、はぎ女郎花おみなえし嫁菜よめなの花、何よりも初秋のさかえを見せるのが、紅く白く沢々つやつや絹総きぬぶさなびかす様な花薄はなすすきである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ここで断っておくがこの情調という語は、勿論人情の意味ではない。しかし予も自ら潤いの乏しい歌と思うような歌を詠んだ経験は少くない。前号『曼珠沙華まんじゅしゃげ』などはそれである。
歌の潤い (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
俳諧で曼珠沙華まんじゅしゃげなどといっている草の葉を、奈良県北部ではキツネノカミソリ、摂津せっつの多田地方ではカミソリグサ、それからまた西へ進んで、播州でも私たちは狐の剃刀かみそりと呼んでいた。
しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼珠沙まんじゅしゃをこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼珠沙華まんじゅしゃげ、すなわちマンジュシャゲとなる。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
それに打たれた土人は狂気のようになり、家族をわすれおのが生命をもかえりみず、日ごろ怖れている氷嶺の奥ふかくへと、そりをまっしぐらに走らせてゆく。まばゆい、曼珠沙華まんじゅしゃげのような極光オーロラの倒影。
人外魔境:08 遊魂境 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
けり来し大烏蝶おおからすちょう曼珠沙華まんじゅしゃげ
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
極性ごくしょうしゅでござったろう、ぶちまけたかめ充満いっぱいのが、時ならぬ曼珠沙華まんじゅしゃげが咲いたように、山際やまぎわに燃えていて、五月雨さみだれになって消えましたとな。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
人待ち顔につぶやいたお粂は、二本松の根方にある石神堂の前に、曼珠沙華まんじゅしゃげのように赤い線香の火を見ました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
扇子おうぎかなめで、軽く払うにつれて、弱腰に敷くこぼれ松葉は、日にあか曼珠沙華まんじゅしゃげの幻を描く時、打重ねた袖の、いずれ綿薄ければ、男のかすりも、落葉に透くまで、すすきかんざししずかである。
両女ふたりは、息をつめて、もだしきった。眸と眸とは、曼珠沙華まんじゅしゃげのように、燃えあった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋やれなやの石臼もまなこが窪み口が欠けて髑髏しゃりこうべのように見え、曼珠沙華まんじゅしゃげも鬼火に燃えて、四辺あたり真暗まっくらになったのは、めくるめく心地がしたからである。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
曼珠沙華まんじゅしゃげ
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)