普賢菩薩ふげんぼさつ)” の例文
「とに角、三浦屋のお職まで張つた女が、袈裟けさを掛けて數珠じゆず爪繰つまぐり乍ら歩くんだから、ぞうの上に乘つけると、そのまゝ普賢菩薩ふげんぼさつだ」
サンジョェというのはチベット暦の十一月二十五日の夜の十二時から始まりますので、その意味は普賢菩薩ふげんぼさつの願文会という意味です。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
最後に普賢菩薩ふげんぼさつに会って、阿弥陀如来に帰命きみょうするということになっているのでありますが、そういうようなことも遍歴であります。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その背に造られた玉台の上には、白い肌のあらわな普賢菩薩ふげんぼさつが、彫刻や画にある通りの姿をして、瞑想に沈んでいる。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「はははは。それや見たかったな。牛の背の美しい尼御前は、さぞや、墨染の普賢菩薩ふげんぼさつそのままであったろうに」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又法然が叡山の黒谷で法華三昧ほっけざんまいを行っていた時普賢菩薩ふげんぼさつが白象に乗って眼のあたり道場に現われたこともあれば、山王の影が形を現わしたこともあったという。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
閾際しきいぎわひざまずいて、音を立てぬように障子に手をかけて、一寸いっすんばかりする/\と開けて見ると、正面に普賢菩薩ふげんぼさつ絵像えぞうけ、父はそれに向い合って寂然と端坐していた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その次に並みはずれなものは鼻だった。注意がそれに引かれる。普賢菩薩ふげんぼさつの乗った象という獣が思われるのである。高く長くて、先のほうが下にれた形のそこだけが赤かった。
源氏物語:06 末摘花 (新字新仮名) / 紫式部(著)
まことにその名むなしからで、流れの下にあたりて長々と川中へ突き出でたる巌のさま、彼の普賢菩薩ふげんぼさつの乗りもののおもかげに似たるが、その上には美わしき赤松ばらばらと簇立むらだち生いて
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「気ちげえの、普賢菩薩ふげんぼさつなら、正気のすべたと、比べものにゃあならねえ。ふ、ふ、ふ。こいつあ馬鹿におもしろくなったぞ。ねえさん、さあ、炉の榾火ほだびに、おあたんなせえと言ったら——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
と、ふもとの牛が白象びゃくぞうにかわって、普賢菩薩ふげんぼさつが、あの山吹のあたりを御散歩。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
普賢菩薩ふげんぼさつが住しているようで、その酔いの出たために、ほお白粉おしろいの下から、ほんのり赤い色がさす様子など、いかにも美しくッて、可愛らしくッて、僕の十四、五年以前のことを思い出さしめた。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
普賢菩薩ふげんぼさつのお白象はくぞう
その普賢菩薩ふげんぼさつを乘せた白象といふのは、二十三貫の大男、全身に白粉を塗つて、赤いふんどしをした岡崎屋三十郎の、みにくくも淺ましい姿です。
銭形平次捕物控:315 毒矢 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
なおその読みつつあるお経の文句の意味などを考えると、そぞろに涙のずるをめ得ない。かかるありがたい普賢菩薩ふげんぼさつ願文会がんもんえにおいても、悪いやつはどうしても化せられぬものか。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
父が一時めていた酒を再びたしなむようになったこと、依然として佛間にこもってはいたけれども、もうその壁には普賢菩薩ふげんぼさつの像が見えなくなっていたこと、そして経文きょうもんを読む代りに
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
普賢菩薩ふげんぼさつの勧進をするような光景であった。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
普賢菩薩ふげんぼさつのことでしょう」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「とにかく、三浦屋のお職まで張った女が、袈裟を掛けて数珠じゅず爪繰つまぐりながら歩くんだから、象の上に乗っけると、そのまま普賢菩薩ふげんぼさつだ」
でサンジョェ(普賢菩薩ふげんぼさつ願文会がんもんえ
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「それが大ありで、『江口の君』といふのは、昔々大昔の華魁おいらんだ。一きう樣と掛け合ひの歌を詠んで、普賢菩薩ふげんぼさつに化けた——」
銭形平次捕物控:315 毒矢 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「そんなものじゃねえ、両国の小屋——近頃評判の地獄極楽の活人形いきにんぎょうの看板になっている普賢菩薩ふげんぼさつ様が、時々泣いているって話じゃありませんか」
普賢菩薩ふげんぼさつの涙を舐めて見ろと言ふ平次の言葉には、何か重大な底のあることは、もう疑ふ餘地もなかつたのです。
金と詭計きけいとで納得させ、とうとう琢堂にとっては一代の恥辱ちじょくとも言うべき極彩色の普賢菩薩ふげんぼさつを作らせたのでした。
昨年一杯かゝつて、世にも人にも祕めて造つた普賢菩薩ふげんぼさつ——あれは私の一代にも二つとない出來で御座いました。
ヘエ——その京屋の下女、——と言っても弁天べんてん様が仮に姿をやつしたような、お鈴という綺麗なのが、普賢菩薩ふげんぼさつの木像をしかと胸に掻い込んで元柳橋からドブンとやらかしたんで。
「岡つ引冥利、お倉と普賢菩薩ふげんぼさつは拜んで置けと——たつた今手前が言つたぢやないか」
平次はそんなものには眼もくれず、真っ直ぐに普賢菩薩ふげんぼさつに近づきました。
手に取ったのは、素木しらきに彫った普賢菩薩ふげんぼさつ像、台から仏体まで、せいぜい一尺二三寸もあるでしょうか。毛ほどの顔料も用いない、全くのうぶな檜材ひのきざいですが、少し荒いタッチで、のみの跡が匂うばかり。