戦捷せんしょう)” の例文
去年、秀吉のやな戦捷せんしょうのとき、家康から秀吉への賀の使者として、初花はつはなの茶入れをたずさえ、石川数正がえらばれて大坂へ行った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二三日前からしきりに報ぜられる壱岐沖いきおき常陸丸遭難ひたちまるそうなん得利寺とくりじにおける陸軍の戦捷せんしょうとがくり返しくり返し思い出される。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
秀吉が九州征伐を終へて博多へ来たとき、従管長コエリョは山口からやつて来て謁見して戦捷せんしょう祝賀の辞を述べた。
それに戦捷せんしょう当時のしかも第十三連隊麾下きかの私の村では在郷軍人会が発展して青年達は軍国主義的な気風と、私達細民階級に対する蔑視観念が強くなっていた。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
今日は戦い勝って、光栄ある戦捷せんしょうの余威は産業の勃興、商売の繁昌、誠に国家太平の有様である。かくの如き時に将来困難が来るという予言を為すのは誠に不祥の言葉である。
〔憲政本党〕総理退任の辞 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
塩釜は安産と戦捷せんしょうの神といわれ、お守りを受けにくところだが、銀子たちには土地の民謡「はっとせい節」を郷土色そのままに、土地の芸者から受けれるという目当てもあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
山陰山陽両方面とも、今日までの戦況では、遺憾ながら秀吉の精鋭の駸々しんしんたる攻勢に利があって、毛利方に戦捷せんしょうがあったとはいいがたい。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
粟津ヶ原で、今井兼平とわずか二騎となって、あわれな討死をとげたと聞えた時は、何とはなく、戦捷せんしょうの将士も、はかないものを思わせられた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに首尾よく黄忠や張著を救いだして、わが城砦じょうさいへ帰っていた趙雲は、互いの無事をよろこび、きょうの戦捷せんしょうを賀して
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉はいちど安土へ凱旋がいせんした。戦捷せんしょう報告をかねて、なお次の作戦段階に就いて、親しく信長の指示を仰ぐためであった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信雄は欣然きんぜんとして、長島へ帰った。庸劣ようれつなこの公達きんだちは、秀吉から約された微々たる戦捷せんしょうの分け前をもって、鬼の首でも取ったように、得々とくとくとして去った。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、求めて、とりあえず、信長へ宛てて、戦捷せんしょうの賀状を書いた。かたわら、中国の状況をしるし、また清水宗治を招降の策は断念した旨をそれに伝えた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かがやく戦捷せんしょうの入城だ。将士は旌旗せいきを正してつつしみ迎えた。信孝は馬を降りて全軍堵列とれつのあいだを通った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このとき、さきに狐塚きつねづかの柴田勝家の本陣へ、戦捷せんしょう報告にやった使いが、勝家の旨を帯びて帰って来た。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その資格にならって、静かに信長へ対坐し、病のために、久しく戦陣の務めを怠っていたことを詫び、かつ、伊丹の戦捷せんしょうと、信長の健康を祝して、そのあいだの声色は
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「抜かりがあろうか」と、武敏は笑って——「布置ふちは今朝から武敏の胸には描けている。きょう、これより筥崎はこざきノ宮に戦捷せんしょうの報をささげ、なお尊氏討伐の祈願をこめる」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
街亭の大捷たいしょうは、魏の強大をいよいよ誇らしめた。魏の国内では、その頃戦捷せんしょう気分に拍車をかけて
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうなると、ひそかに虎視眈々こしたんたんとしていた徳川家康とくがわいえやすも、いきおいかれのまえに意地いじッぱってはいられないので、石川数正いしかわかずまさ戦捷せんしょうの使者に立てておくりものをしてくる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうして、正成が、いちど千早へ引きあげて行くまでには、信貴山しぎさん毘沙門堂びしゃもんどうにある大塔ノ宮へも、洛中の千種忠顕ちぐさただあきへも、使いをたてて、つぶさにここの戦捷せんしょうを報告していた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方、大岩山の佐久間勢は、戦捷せんしょう気分のうちに、そこの暫定主陣地で、うまこく(正午)から約一刻いっとき余りは、悠々、休息をとっていた。昨夕方からの長途と激戦のあげくである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
景勝は、家臣石川播磨守はりまのかみを遣って、その戦捷せんしょうを祝し、また、秀吉の会盟の意にこたえては
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、世間のそんな歓呼と戦捷せんしょう風景も、ぼくにはとんと確とした記憶にない。
いかに秀吉に慫慂しょうようされたからとて、兄弟の神戸信孝を自刃せしめたり——近くは、戦捷せんしょうの功賞として、伊勢、伊賀、尾張全州の所領百七万石をうけて、大得意になったかと思えば、忽ち
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦捷せんしょうの誇りに昂ぶりきった数千の兵馬が、こみ入って来たのである。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦捷せんしょうの兵はおごりやすいものである。鱈腹たらふく食べ酔って
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夏口城の城楼には、戦捷せんしょう凱歌がいかが沸いていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ秀吉からも、戦捷せんしょうを賀す返事が来た。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひたぶるに、わが子の戦捷せんしょうを念じていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、戦捷せんしょうを祝した。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)