弓箭きゅうせん)” の例文
後醍醐はその経過やら綸旨りんじの上からも、御自身、軍の御指揮者たるのかたちで、公卿すらも弓箭きゅうせんを取って陣頭に出ていたのだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幸村申すことに「この度の御和睦も一旦のことなり。ついには弓箭きゅうせん罷成まかりなるべくと存ずれば、幸村父子は一両年の内には討死とこそ思い定めたれ」
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
轔々りんりん蕭々しょうしょう行人こうじん弓箭きゅうせん各腰にあり。爺嬢やじょう妻子走って相送り、塵埃じんあい見えず咸陽橋かんようきょう。衣をき足をり道をさえぎこくす。哭声ただちに上って雲霄うんしょうおかす。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
弓箭きゅうせんは遠く海のあなたに飛ばざるべからず、老生も更に心魂を練り直し、隣人を憎まず、さげすまず、白氏の所謂
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
この日を戦の祝いと称して弓箭きゅうせんもてあそぶのは、何か雛祭と調和せぬようであるにもかかわらず、太平洋に面した陸中の釜石に陣場じんば遊びがあり、その南隣の気仙けせんでは
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ややしばらくありて有のままに日来の宿欝を述すといへども、聖人又をどろけるいろなし。たちどころに弓箭きゅうせんをきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿衣かきのころもをあらためて、念仏に帰しつつ、素懐をとげき。
加波山 (新字新仮名) / 服部之総(著)
鳥羽までお送りしてゆく六波羅武者の弓箭きゅうせん千五百ほどで、そこの広前を大きく囲み、暫時、御祈願のあいだを待つことにしたのであった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一瞬のまに、西八条のやしきは、兵の殺気にみちていた。甲冑かっちゅう弓箭きゅうせんを、身によろって、またたく間に、兵に、兵の数が加わって、えてゆく。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここまで送って来た公卿および六波羅の弓箭きゅうせん千五百人は引っ返す。また、廉子たち三名の妃は、便殿べんでんに入って、化粧改めなどすます。「増鏡」に
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それほど邸内の一刻いっときは今しんとして、広場は勢揃いの弓箭きゅうせんにかがやき、高氏のすがたを遅しと待ちながら、中門の打水もしずかな朝雲を映していた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朱地錦あかじにしきの百花戦袍かせんぽうを着たうえに、連環れんかんよろいを着かさね、髪は三叉さんしゃつかね、紫金冠しきんかんをいただき、獅子皮ししひの帯に弓箭きゅうせんをかけ、手に大きな方天戟ほうてんげきをひっさげて
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さんざんな砲口の吠えがんだと思うと、こんどは、精鋭な禁軍の弓箭きゅうせん陣が矢の疾風はやてを射浴びせてくる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弓箭きゅうせん鳳尾槍ほうびそうをもった禁門の武士がかけつけて、青蛇を刺止しとめんとしたところが、突如、ひょうまじりの大風が王城をゆるがして、青蛇は雲となって飛び、その日から三日三夜
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弓箭きゅうせんを帯し、兇兵を連れて、主人の車に迫るなど、謀叛人むほんにんのすることです。お退がりっ」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その補佐ほさには。顕家あきいえの父、北畠亜相あそう(親房)、結城宗広。——供には、冷泉少将家房、伊達だてノ蔵人行朝、三河前司ぜんじ親朝、そのほか数千の弓箭きゅうせんが、列の先もかすむばかり流れて行った。
また、供奉ぐぶの公卿も、若きはあらかた甲冑かっちゅう弓箭きゅうせんをおびて前線へ出払っていたし——吉田大納言定房が牛車くるまをとばしてさんじたほか、老殿上ろうてんじょう十数人、滝口、蔵人のやからなど、寒々さむざむしいばかりである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呂布は、駒を走らせ走らせ、振返って、獅子皮の帯の弓箭きゅうせんを引抜き
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)