師父しふ)” の例文
師父しふさん、まあおきき下さい」と彼は言った。「あなたは今まで私が出逢った最も聡明なそしてまた最も潔白な方であると考えます」
ふしぎともふしぎ、運転台にいるのは、背広姿になってはいるが、雷洋丸にいたときは牧師ぼくしの服に身をかためていた師父しふターネフであった。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
昼餉ひるげののち、師父しふが道ばたの松の樹の下でしばらくいこうておられる間、悟空ごくう八戒はっかいを近くの原っぱに連出して、変身の術の練習をさせていた。
かねて祖父石舟斎からも師父しふ但馬守からも、柳生流は治国の兵法と教えられておりまする。十兵衛が太刀も、遊山ゆさんのお座興に供するわけには相成りませぬ。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飮ばかり外にはたのしみと云者なして又々亭主には某しが師父しふを如何して存じ居らるゝやと申に亭主はなほひざ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
敬虔に年をかさねた師父しふたちよ
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
「やれやれ、まるで仙郷せんきょうへでも来たような気がする」とフランボーが云った。師父しふブラウンは舟の中にすわったまま真直になって十字をきった。
師父しふに対する尊敬と、孫行者そんぎょうじゃへの畏怖いふとがなかったら、俺はとっくにこんなつらい旅なんかめてしまっていたろう。」
それは、師父しふターネフであった。ターネフのうしろでは、例のうつくしいめいのニーナ嬢が、そわそわしながら、しきりにあたりに気をくばっている様子。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
つれて江戸へ逃來にげきたる時に在所ざいしよ熊谷宿くまがやしゆくの弟八五郎が見世に休み夫より駕籠屋かごや惡漢わるもの引罹ひつかゝすで路用ろようも女房も取れいのちさへあやふき處後藤先生が上州じやうしう大間々おほまゝなる師父しふの大病にて行れたる歸り道に是も八五郎が見世へ休まれて不※ふとしたる事から八五郎は此衆このしう夫婦ふうふ惡漢わるもの引罹ひつかゝりたる事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それが何に対する憫れみなのか、平生へいぜいはいっこう見当が付かないでいたが、今、ひょいと、わかったような気がした。師父しふはいつも永遠を見ていられる。
英国エセックス州コブホールの僧侶師父しふブラウンもいた。主人が最近英国で近づきになった人であった。
それは、師父しふターネフからうばった、重要書類いりの袋であった。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
我は托塔たくとう天王の二太子、木叉恵岸もくしゃえがん。これにいますはすなわち、わが師父しふ、南海の観世音菩薩かんぜおんぼさつ摩訶薩まかさつじゃ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
嵐吹く銀緑色の夕方、灰色のスコッチ縞の着衣につつまれた師父しふブラウンは、灰色のスコットランドのある谷間のはてに来た、そして奇妙なグレンジル城を仰ぎ見た。
師父しふブラウンというのが大会に出席して外国の僧侶に見せるために青玉サファイヤの這入った銀の十字架を持って出たということ、その十字架は非常に高価な品であるということを調べておいた。
ああ、師父しふか。師父はな、これより北のかた、二千八百里、この流沙河りゅうさが赤水せきすい墨水ぼくすいと落合うあたりに、いおりを結んでおられる。お前さんの道心どうしんさえ堅固なら、ずいぶんと、教訓おしえも垂れてくだされよう。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「この方は友人の師父しふブラウンです」とフランボーがいった。「かねがね君に紹介しようとは思っていたのだ。今日はどうも大変なお天気だねえ、僕のような南国人にはちょっとこたえるねえ」