)” の例文
八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體をゑ風教を張り、然して後しづかに彼の長所を斟酌するものぞ。
遺訓 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
取調べられ三次が白状のおもむきを申聞らるゝに長庵心中に是はと仰天ぎやうてんなせしかども急度きつとはらこれとても更に知らずとの申立によりて又もや三次を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
山里にかくしゑられて、花、紅葉、月、雪ながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめとばかり思ひつづけ
落草ぬすびとども道をささへて、行李にもつも残りなくうばはれしがうへに、人のかたるを聞けば、是より東の方は所々に新関しんせきゑて、旅客たびびと往来いききをだにゆるさざるよし。
源太はゑみを含みながら、さあ十兵衞此所へ来て呉れ、関ふことは無い大胡坐おほあぐらで楽に居て呉れ、とおづ/\し居るを無理に坐にゑ、やがて膳部も具備そなはりし後
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
大吉備津日子おほきびつひこの命と若建吉備津日子わかたけきびつひこの命とは、二柱相たぐはして、針間はりまかはさき忌瓮いはひべゑて、針間を道の口として、吉備の國言向ことむやはしたまひき。
かつ里人のかたるを聞けば、九四東海東山の道はすべて新関をゑて人をとどむるよし。又きのふ京より九五節刀使せつとしもくだり給ひて、上杉にくみし、総州のいくさに向はせ給ふ。
東湖先生申されしは「小人程才藝有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。去りとて長官にゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」
遺訓 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
かまうことはない大胡坐おおあぐらで楽にいてくれ、とおずおずし居るを無理に坐にえ、やがて膳部も具備そなわりし後、さてあらためて飲み干したる酒盃さかずきとって源太はし、沈黙だんまりで居る十兵衛にむかい、十兵衛
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
すなはち丸邇坂わにさか忌瓮いはひべゑて、罷りでましき。