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たかうじ
ふりがな文庫
“
尊氏
(
たかうじ
)” の例文
「なんだって畜生ッ、高慢な
面
(
つら
)
あしやがって、天子様に指でも指してみろ、おれが承知しねえ、豆腐屋だと思って
尊氏
(
たかうじ
)
の畜生ばかにするない」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
かえすがえすも
尊氏
(
たかうじ
)
の行いは憎まれるが、思うに、そちたちはただ不愍というほかない。憎んで斬るにも足らないものだ。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西郷の功大なりといえども、かれ一人でこの時代を代表すること秀吉の如く、家康の如く、
尊氏
(
たかうじ
)
の如くありはしない。
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
しかるに忽ち足利
尊氏
(
たかうじ
)
、反骨を抱いて
虎視眈々
(
こしたんたん
)
、とうとう機を見て
反
(
そむ
)
き去り、ふたたび乱世戦国となったが、尊氏の最も恐れたのは、この書
倶係震卦教
(
ぐけいしんけきょう
)
だ。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
そして先年
尊氏
(
たかうじ
)
が石浜へ追い詰められたとも言い、また今日は早く鎌倉へこれら二人が向ッて行くと言うので見ると、二人とも間違いなく新田義興の
隊
(
て
)
の者だろう。
武蔵野
(新字新仮名)
/
山田美妙
(著)
▼ もっと見る
去
(
さ
)
んぬる
正平
(
しょうへい
)
の昔、
武蔵守
(
むさしのかみ
)
殿(
高師直
(
こうのもろなお
)
)が
雲霞
(
うんか
)
の兵を
引具
(
ひきぐ
)
して将軍(
尊氏
(
たかうじ
)
)御所を打囲まれた折節、兵火の
余烟
(
よえん
)
を
遁
(
のが
)
れんものとその近辺の
卿相雲客
(
けいしょううんかく
)
、或いは六条の長講堂
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
文久三年三月、
梟首
(
きょうしゅ
)
された
尊氏
(
たかうじ
)
父子の木像に迎えられて将軍が上洛してのちは、政治の舞台は完全に京都に移され、一種の二重政府状態のままで、幕府は散々な目にあっている。
尊攘戦略史
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
彼が外祖父である為子腹の
尊良
(
たかなが
)
親王も、種々辛酸を
嘗
(
な
)
められ、
尊氏
(
たかうじ
)
が鎌倉に叛したときは、為冬は親王を奉じて討伐に向ったが、箱根竹下で戦歿し、親王は
義貞
(
よしさだ
)
が奉じて北陸に経略したが
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
正平
(
しょうへい
)
二年の
歳
(
とし
)
も押しつまってきたが、戦雲はいよいよけわしい。正行が陣頭に立ってから、前後二度の大戦に敗れた
尊氏
(
たかうじ
)
は、それまでに味方のうちに
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
去
(
さ
)
んぬる
正平
(
しょうへい
)
の昔、
武蔵守
(
むさしのかみ
)
殿(
高師直
(
こうのもろなお
)
)が
雲霞
(
うんか
)
の兵を
引具
(
ひきぐ
)
して将軍(
尊氏
(
たかうじ
)
)御所を打囲まれた折節、兵火の
余烟
(
よえん
)
を
遁
(
のが
)
れんものとその近辺の
卿相雲客
(
けいしょううんかく
)
、或ひは六条の長講堂
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
先祖の
親房
(
ちかふさ
)
という人はじつにりっぱな顔でした、ぼくのようにチビではありませんよ、
尊氏
(
たかうじ
)
のほうをきっとにらんだ顔は体中忠義の
炎
(
ほのお
)
が燃えあがっています。ぼくだって忠臣になれます。
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
およそ地理に於て、日本に六十余州ありといえども、歴史に於て、二千五百有余年ありといえども、武将として、頼朝、
尊氏
(
たかうじ
)
、信長、秀吉、家康を除けば、あとは第二流以下であると言ってよろしい。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
住職山越氏の住む階上に、国宝の
宋窯花瓶
(
そうようかびん
)
やら
尊氏
(
たかうじ
)
自筆の古文書などが、からくも無事をえている有様だった。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
逆臣
(
ぎゃくしん
)
尊氏
(
たかうじ
)
に
攻
(
せ
)
められて、
天
(
あめ
)
が
下
(
した
)
御衣
(
ぎょい
)
の
御袖
(
おんそで
)
乾
(
かわ
)
く間も
在
(
おわ
)
さぬのじゃ」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
いずれにせよ、後年の足利
尊氏
(
たかうじ
)
なるものも、笠置包囲軍の一角に、遅くはあったが、参加していたのである。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「でも、東宮ノ大夫に調べさせてみましたら、それは
参議
(
さんぎ
)
尊氏
(
たかうじ
)
の身よりだそうでございますよ」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それというのも、こんどの旅行中、はからずも
尊氏
(
たかうじ
)
の末裔、足利
惇氏
(
あつうじ
)
氏に会ってしまったためである。半分は惇氏氏のせいだとしよう。大いに語らせねば読者も気がすむまい。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「わが
諱
(
いみな
)
(実名)の一字をとらす。……以後は、高氏をあらためて、
尊氏
(
たかうじ
)
となすがよい」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——この土の中の白骨が、ほんとに、先生が今いったような、忠臣ならいいけれど、もし足利
尊氏
(
たかうじ
)
の方の兵だったら、つまらないなあ。
掌
(
て
)
なんか合せてやるのは
癪
(
しゃく
)
にさわる——」
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、ここには今、戦捷の意気が
漲
(
みなぎ
)
っていた。山名細川の首も近く見ようぞ。春ともなれば、
尊氏
(
たかうじ
)
の首級を、京に
梟
(
か
)
けて、
神璽
(
しんじ
)
を奉じ、主上の還幸をお願いし奉ろうぞ。そうみな希望にかがやいていた。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尊氏
(
たかうじ
)
と
成
(
な
)
る
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“尊氏(
足利尊氏
)”の解説
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。正式名称は足利又太郎源尊氏(あしかがまたたろうげんたかうじ)。
(出典:Wikipedia)
尊
常用漢字
小6
部首:⼨
12画
氏
常用漢字
小4
部首:⽒
4画
“尊”で始まる語句
尊
尊敬
尊崇
尊良
尊重
尊者
尊王攘夷
尊公
尊大
尊王