子飼こがい)” の例文
「どのとりだってれればおなじさ。しかし子飼こがいいでないと、なかなかこんなにならないそうだね。」と、にいさんがいいました。
山へ帰ったやまがら (新字新仮名) / 小川未明(著)
それから供人の縫殿介なる若党の骨がらもよく、いわゆる雑人ぞうにんずれのした渡り奉公人とはちがって、子飼こがいからのしつけがみえる。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると子飼こがいから粂之助くめのすけというもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質うまれつきで、其の上美男びなんでござります。
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
浜子のうちでは、当主賢吾氏が、子飼こがいから野沢屋の店に育ったので、生糸店とは別会社の、ほかの重役たちのように策を施さなかったので、父親譲りの財産は
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
最後に主従の縁を結んだのが、粕谷の犬好きの家だった。デカは粕谷の犬になって二年た。渡り者のくせで、子飼こがいから育てたピンの如くはあり得なかった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
彼は、何だか、眼前めさきが急に明るくなったように感じられた。腹心の、子飼こがいの弟子ともいうべき子分達に、一人残らず背かれたことは、彼にとって此上このうえないさびしいことであった。
(新字新仮名) / 徳永直(著)
さすが、子飼こがいからそばにおいて来たやつは、下手へたな宿の女房よりは、ひとの気もちを読みとるわい、といったような秀吉のうなずき方であった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川子飼こがいの者や一族の頭には、何といってもまだ神戸信孝の存在や、柴田勝家の勢力などが、よほど重大視されていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤原有範が子飼こがいの家来、侍従介じじゅうのすけは、築地ついじの外の流れが、草にうもって、下水が吐けないので、めずらしく、熊手をもって、掃除をし、落葉焼おちばやきをやっていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なあに、あれで気がいいやっこだから、なにもこわがることはない。といって、子飼こがいからのわが家の下僕しもべさ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「佐久間勢のしっぱらいと見ゆる。いずれ玄蕃の子飼こがいであろうが、あの健気けなげな敵は誰だ?」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわば陪臣ばいしんにはなるが、官兵衛の父宗円が子飼こがいから養って来た者である。数年前、官兵衛がその英才を愛されて、小寺政職まさもとからって御着の家老職に望まれて行った際、子を思う宗円が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉の子飼こがいの小姓、或いは、家中の子弟などの、武将の雛鳥ひなどりたちにとっては、絶好なる実戦の練習場となったことは、次の時代を負って出た人材の多くが、まだこの頃には、みな年少十六
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつての加藤於虎おとら、福島於市おいち脇坂甚内わきざかじんない、片桐助作すけさく、平野権平ごんぺい、大谷平馬へいま、石田佐吉などのいわゆる子飼こがいの子どもたちも、いまはことごとく二十四、五から三十近い若者となり、殊にしずたけこのかたは
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)