大同だいどう)” の例文
りょう六朝りくちょう)の大同だいどうの末年、平南将軍藺欽りんきんをつかわして南方を征討せしめた。その軍は桂林けいりんに至って、李師古りしこ陳徹ちんてつを撃破した。
斉王せいおうもまた人の告ぐるところとなり、廃せられて庶人となり、代王けいもまたついに廃せられて庶人となり、大同だいどうに幽せらる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
隣邦の中国では、大同だいどうに兵乱があり、遼東りょうとうが騒いだりしていたが、げんの国号をあらためてみんとしてから、朱氏しゅし数百年の治世はまだゆるぎもしなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余日のかん上海シャンハイ南京ナンキン九江キュウキャン漢口ハンカオ長沙ちょうさ洛陽らくよう北京ペキン大同だいどう天津てんしん等を遍歴した。
「支那游記」自序 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
近頃は支那に派遣せられて大同だいどう府の千仏山や、洛陽の龍門りようもんや、または支那五獄の随一と言はれる嵩山かうざんあたりまで出掛けて往つて、古物といふ古物は何一つ残さず捜し廻つて
六九 今の土淵村には大同だいどうといふ家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞おほほらまんのじようといふ。この人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
年はあらたになりて建文二年となりぬ。えん洪武こうぶ三十三年と称す。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州いしゅうを下し、大同だいどうを攻む。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
六九 今の土淵村には大同だいどうという家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞おおほらまんのじょうという。この人の養母名はおひで、八十をえて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
盛庸等、大同だいどうの守将房昭ぼうしょうげきし、兵を引いて紫荊関しけいかんに入り、保定ほていの諸県を略し、兵を易州えきしゅう西水寨せいすいさいとどめ、けんりて持久の計をし、北平をうかがわしめんとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一四 部落ぶらくには必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神をまつる。その家をば大同だいどうという。この神のぞうくわの木をけずりてかおえがき、四角なるぬの真中まんなかに穴をけ、これをうえよりとおして衣裳いしょうとす。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二四 村々の旧家を大同だいどうというは、大同元年に甲斐国かいのくにより移り来たる家なればかくいうとのことなり。大同は田村将軍征討の時代なり。甲斐は南部家の本国なり。二つの伝説を混じたるにあらざるか。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一四 部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマといふ神をまつる。その家をば大同だいどうといふ。この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布のまん中に穴を明け、これを上より通して衣裳とす。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)