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参覲
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さんきん
ふりがな文庫
“
参覲
(
さんきん
)” の例文
旧字:
參覲
今泉第二は藩主の
参覲
(
さんきん
)
の供に加わって、初めて江戸へゆくことになったとき、和田軍兵衛の長女しのを嫁に欲しいと親たちに申し出た。
はたし状
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
かくして、この師弟の間に、再び愛慕の一年が流れ、十七年五月に、忠利は
参覲
(
さんきん
)
の期終って熊本に帰ったが、計らずもこれが永別となったのである。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幕府は第三条を奉承したから、一応水戸ブロックの幕政参与は実現したわけだが、その第一の政治は、
参覲
(
さんきん
)
交代制緩和以下の幕政改革による藩権伸張策だった。
尊攘戦略史
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
山水が路上を流れてある所はすぐ河原になる。会津の殿様の
参覲
(
さんきん
)
道路は、赤松の並木で一部分には敷石が残っているのに、他の一部分はすでに谷川になっている。
峠に関する二、三の考察
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
参覲
(
さんきん
)
交代で江戸に在勤中の大名は、自身で、国詰め中のものは、代りに江戸家老が、おのおの格式を見せた供ぞろい
美々
(
びび
)
しく、
大手
(
おおて
)
から下馬先と、ぞくぞく登城をする。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
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尾州徳川様が
参覲
(
さんきん
)
交替のためにご出府なさいましたので、まえの日のお泊まり宿であった小田原のご本陣を出発なさいましたのが明けの七ツ、道中いたってのごきげんで
右門捕物帖:16 七化け役者
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
これは江戸を中心とする
参覲
(
さんきん
)
交代の制度を語り、一面にはまた婦人の位置のいかなるものであるかを語っていた。通り手形を所持する普通の旅行者にとって、なんのはばかるところはない。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
又、
参覲
(
さんきん
)
交替は、信長、秀吉の時にも、安土や大坂に諸大名が邸を置いて滞留したことがあつたが、家光の時代に制定したものは、全大名の大がかりな定期点呼であり、人質制度でもあつた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
これまで
度々
(
たびたび
)
お江戸へ
参覲
(
さんきん
)
大菩薩峠:41 椰子林の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
拙者このたび、殿の御
参覲
(
さんきん
)
に江戸表へ御供を仰付かりました。ついては一年の在番中お笛をお預けいたしますゆえ、お
手許
(
てもと
)
にて
篤
(
とく
)
と性質を
嫁取り二代記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「いや、その表は、市民だけの数だから、大名の家中、お抱え町人、能役者、その他、
参覲
(
さんきん
)
の各藩邸の者をいれると、どうして、とてもとても、そんな数ではない」
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
諸侯のお手本ともなるべきご三家のお殿さまが先へたって行列とごいっしょに
参覲
(
さんきん
)
道中させたと聞かれちゃ、世間体がよろしくないため、わざわざお小姓にやつさせたんだ。
右門捕物帖:16 七化け役者
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
宮古
(
みやこ
)
や
八重山
(
やえやま
)
の
大阿母
(
おおあも
)
などは、危険の最も多い荒海を渡って、一生に一度の
参覲
(
さんきん
)
を
恙
(
つつが
)
なくなしとげることを、神々の殊なる
恩寵
(
おんちょう
)
と解し、また常民に望まれぬ光栄としていた。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
十月初旬、監物忠辰は
参覲
(
さんきん
)
のため出府した。その出府の直前に、籠崎大洲の件(表向きは狩場の出来事として)の裁決があった。
四日のあやめ
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
また、
参覲
(
さんきん
)
交代の制度を厳密にした。また、
安宅丸
(
あたかまる
)
その他の
巨
(
おお
)
きな兵船を造らせた。また、武家法度をやかましく宣布した。また——大目付の職制を新たに設け、諸国に無数の隠密を放った。
柳生月影抄
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして九月の紅梅会の旅に、うちあわせていっしょになり、
参覲
(
さんきん
)
の道筋では家中の人の眼につくので、遠く
近江路
(
おうみじ
)
をまわって東海道へ来た。
雨の山吹
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
十年十月に
参覲
(
さんきん
)
して十三年五月まで。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
当時、秋田藩の財政は極度に
逼迫
(
ひっぱく
)
して、藩主の江戸
参覲
(
さんきん
)
にもその費用の
捻出
(
ねんしゅつ
)
に窮するくらい、その他の事は一々記する
遑
(
いとま
)
もないほどであった。
蕗問答
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
安芸
(
あき
)
の国広島、四十二万石の大守浅野左少将
光晟
(
みつあきら
)
が、
参覲
(
さんきん
)
の途上、岡山城に立ち寄って光政を訊ねた。二人は年もほぼ同じくらいでよく話の合う間柄だった。
備前名弓伝
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
その年が明けると間もなく、
参覲
(
さんきん
)
のいとまで
飛騨守
(
ひだのかみ
)
が帰国するとき、弁之助も供を申付けられて故郷へ帰ることになった。そのことがきまった日の宵であった。
日本婦道記:おもかげ
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
八月下旬、
参覲
(
さんきん
)
のために江戸へゆく藩主に従って、助左衛門も元気に立っていった。医師もその頃はもう大丈夫と云っていたし、誰ひとり危ぶむ者はなかった。
落ち梅記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
追従
(
ついしょう
)
するような笑いに、一種の皮肉なものが感じられた。それから約半年、おれは「すばらしい花」という言葉をそのまま信じ、
藩主
(
はんしゅ
)
の
参覲
(
さんきん
)
の供で江戸へいった。
薊
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
……重臣の処罰は幕府の認可を取らなければいけない、大和守はそのため届けをして、規定の
参覲
(
さんきん
)
よりひと月早く、正月の祝いを済ませるとすぐに、江戸へ立っていった。
めおと蝶
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
それは藩主が
参覲
(
さんきん
)
のため出府する少しまえのことで、家老職は承諾し、その旨をすぐ藩主に通じたが、利秀は「考えておく」と、きげんの悪い顔で、答えただけであった。
竹柏記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
来年は
参覲
(
さんきん
)
のお
暇
(
いとま
)
ですから、あなたも殿さまのお供で国許へお帰りになりますわね、そのときその方を訪ねていらっしゃいませ、わたくしにはおよそ想像ができますけれど
百足ちがい
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「これは家来どもには知らせたくないと思う、さいわいこの月末は
参覲
(
さんきん
)
のおいとまに当るから、日を早めて頂き、自分で帰国してすぐとり糺すとしよう、それまで御前をたのむ」
日本婦道記:箭竹
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
長いあいだのことだから、しぜん街道の評判になって、野だての席へは寄らなくとも、宿屋から呼んでくれる客も多くなり、
参覲
(
さんきん
)
のため小出へ泊る大名にも幾たびか接待をした。
榎物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
参覲
(
さんきん
)
のいとまで帰国している藩主松平頼胤が、微行のかたちでおとずれる日だった。
新潮記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
参覲
(
さんきん
)
のいとまで正篤にとっては初めての国入りである。まだ一二年はその沙汰もあるまいと思っていたし、出立までの日数が少なかったので、家中はいっとき眼の廻るような騒ぎだった。
桑の木物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
永井はこの十五日に
参覲
(
さんきん
)
の供で、江戸へゆくことになったのだが、そのほかに、こんど永井家が
旧禄
(
きゅうろく
)
を復活され、主計が中老職にあげられる筈で、江戸への供はその前触れを兼ねていたから
古今集巻之五
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
信濃守景之は
参覲
(
さんきん
)
で出府し、勘解由もその供をして去ったが、出立のまえの日に訪ねて来て、ふさに「世話になった」とかなり多額な
餞別
(
せんべつ
)
を与え、また正四郎を呼んで、ふさを大事にしろと云った。
その木戸を通って
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
そのお覚悟さえあればできるだけのお世話は
仕
(
つかまつ
)
る、いまも結さまのおはなしで、よき折もあらば高松へ移したらということであった、さいわい来月には当お上が
参覲
(
さんきん
)
のおいとまにて御帰国のはずゆえ
新潮記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
そして岡村八束は、藩主の
参覲
(
さんきん
)
の供に加わって、江戸へ去った。
竹柏記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
参覲
(
さんきん
)
のいとまで領地へ帰るのもごく
稀
(
まれ
)
であった。
泥棒と若殿
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
参
常用漢字
小4
部首:⼛
8画
覲
漢検1級
部首:⾒
18画
“参覲”で始まる語句
参覲交代
参覲交替
参覲中